このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

(ざきみぐすく)

座喜味城
【所在地】沖縄県中頭郡読谷村(なかがみぐんよみたんそん)座喜味 
【築城年】1442年 
【築城者】護佐丸(ごさまる)。もともとこの地を治めていた豪族(按司)で、近くの山田城に居城していた。琉球王国の統一に活躍し、滅びた北山の旧勢力を見張る目的で座喜味城を築城したと言われている。
按司=12世紀頃各地域にあらわれた支配者のこと) 
【遺構】門・石垣・郭
【文化財指定区分】
 ●2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録
 ●1972年(昭和47年)沖縄の本土復帰と同時に国の史跡に指定 

「歴 史」
 
座喜味城は、読谷山城(よみたんざんぐすく)ともいう。琉球第一の武将と讃えられた護佐丸が6年の歳月をかけて築いた。築城にあたっては、恩納村の旧居城・山田城の城壁を崩して、手渡しで運ばせたという。城壁・アーチ門など、琉球石造建築の水準の高さを示す名城とされる。護佐丸はやがて中城(なかぐすく)へ移り、この城にいたのは約18年という。標高127mの高台にある山城。

■城塞のことを、沖縄では「グスク」とと呼び、12世紀頃から按司(あじ・在地領主)の居館となり、やがて軍事的機能を備えた城塞に発達したとみられている。

㊨一の郭に残る殿舎の礎石群
㊨曲線を描いた石垣と、一の郭 石造アーチ門
■二の郭へ入る唯一の二の郭アーチ門 アーチ門の後方の石垣は主郭(一の郭)石垣。

【座喜味城所在地図】
那覇より国道58号線を北上。読谷村喜名を左折し、県道12号線に入る。城跡案内板にしたがって進む。無料駐車場有。

座喜味城アーチ門】
アーチ門前面の上部、左右の石と石の真中にはクサビ石が打ち込まれて頑丈に出来ている。

 ▼一の郭

座喜味城登城口
この石段を上がると、写真の松林が生い茂る道が続き、奥に郭跡が位置する。
座喜味城は、戦時中は日本軍の砲台となり、戦後は米軍のレーダー基地として使用された。返還後史跡整備されて現在に至る。
 

*写真右手に一の郭アーチ門が位置する

(首里城にて撮影)

一の郭の石造アーチ門と屈折した城壁
城壁はたくみな屈折をなした琉球石灰岩による切石積みを基調とし、美しいアーチ門とその両脇は整然とした布積みで、古琉球期の石造建築技術の高さを示す。沖縄の城の城門は、拱門(石造アーチ式の門)を城門としており、本州の城郭とは異なる形式である。

‘一の郭と二の郭で構成されたコンパクトな構造の連郭式’

▲びょうぶ状の城壁。沖縄の城の特色は、石垣が複雑な曲線を描いて続き、石垣の出隅が尖らずに丸みを帯びている

*登城口から、少し勾配のある道を行くと、最初に出会う二の郭城壁とアーチ門(座喜味城大手門)

世界遺産 座喜味城を巡る
㊧一の郭入口の、一の郭石造アーチ門

【曲線を多用した見事な城壁】

▲東シナ海を見渡せる丘上に築かれた城。石垣の勾配はほぼ垂直で、反りもなく造られている

▲切石積みの城壁

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■一の郭側から見た、 二の郭跡と二の郭アーチ門(城内側)。
■二の郭アーチ門 アーチ門左右の城壁が突き出し、両側から側面攻撃(横矢掛け)を仕掛ける構造となっている。

 ▼二の郭

■二の郭アーチ門 右の石垣は物見台。門を入った所が二の郭跡。
㊧一の郭のアーチ門越しに、二の郭 アーチ門をみる

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