懐かしの飯田線


撮影期間:1977〜1985年


  鉄道の撮影を開始して数年たった頃、戦前型の電気機関車や旧型国電がひしめく身延線や飯田線に興味を持ち、大垣夜行(当時の347M)で何度か足を運んでは、眠い目をこすりながらひたすら撮影に没頭しました。あれから30数年が経過して当時の写真の見直しをして思うのは、何でもう少し周りの状況を考えてから撮影アングルを決めなかったのか、という反省です。わざわざ逆光側に立っていたり、シャッターを切るタイミングが大幅にずれていたり、画面が傾いていたりと、貴重なフィルムを大切に消化していなかった点が非常に悔やまれます。しかし、EF10や一部の旧国の引退が既に囁かれ始めていた頃だったので、結果は満足いかないものばかりでしたが、時期的には丁度良かったのかもしれません。車両のどれをとっても曲者ばかりだった飯田線でしたが、旧国が去り貨物列車が去り、そして旧国を置き換えた119系が2012年3月で引退決定する等、時間は無常に流れていきます。ここに紹介した画像をご覧になって頂いた皆様には、古き良き国鉄時代を、ご自分なりに回想、想像して頂けたら大変嬉しいです。

尚、機関区等における撮影は、事前に許可を得てから行っています。当時の時代背景をご理解、ご推察の上、ご覧下さい。

それでは、ごゆっくりどうぞ。




上3枚 クモニ83 100番台+クモニ13


クモニ83 100番台とクハユニ56


クモニ83 100番台+クハユニ56+クモハ×2


豊橋機関区で休む、クモニ83101。



上2枚 クモニ83 100番台他4連




上3枚 運用離脱後、クモニ13に挟まれて疎開留置されていた、クモニ83101。


クハユニ56他4連


クハユニ56他3連(飯田駅)


クハユニ56(鳥居駅)


クハユニ56(左)とクモハ61



クハユニ56004他3連


クハ47153(左)とクハユニ56004



上2枚 サロハ66改造のクハ47153。


上7枚 朝の豊橋駅で出発を待つ列車達。


2両目に、張り上げ屋根のクモハ53007が組み込まれている。


長山駅で、クハユニ56001先頭の列車と交換。


貫通式だった為、中々先頭に出る事がなかった、クハニ67。(三河槙原駅)





上2枚 同じ立ち位置から撮影



クハ68他4連




上3枚 人々がかわす会話が聞こえてくる三河槙原駅。赤い橋は現在も変わらぬ姿を留めている。




上2枚 クハ68405


クハ68(左)と救援車両


クハ47 100番台(上2枚 豊橋機関区)


先頭はサロハ46改造の、クハ47151。


クモハ50004+クハユニ56




上3枚 先頭に立つのは、クモハユニ64000。


クモハ61の脇を、寝台特急富士が通過。(豊橋機関区)


クハ68他4連(3両目に、張り上げ屋根のクモハ53007が確認出来る)




上3枚 渡らずの橋を行く、クハ47 100番台他2連。


三河槙原駅に到着した、クモハ42他。


東上駅を発車する、クモハ42他3連。


野田城駅での交換風景。


クハ47153先頭の4連との交換風景。


クモハ50002(豊橋駅)


クモハ53000(豊橋駅)



クモハ42他3連。


クハ68410


東上駅での交換風景。顔が見えているのは、クモハ42(左)、クハ68。




鳥居駅に入線する、クモハ61他4連。




真夏の三河槙原駅における交換風景。


クハ47 100番台他4連。


クモハ53008他4連。



クハ68他6連。3両目にはクモハ52004が確認出来る。


後4両は、広窓の流電編成。



上2枚 三河槙原駅を発車した4連。



上2枚 飯田線の車内から撮影した、豊橋機関区全景。


30数年前の鳥居駅舎。


1985年の大嵐駅舎と、当時のマイカーだった、日産グロリアHA30。



戦前型旧型電機のEF10、特に半流タイプの20〜24号機の美しい姿に強く惹かれた。


上2枚 飯田駅にて留置中のEF10 14号機。






上5枚 中部天竜駅に到着後貨物を切り離した、EF10 20号機。



上2枚 東上-野田城を行く、EF10 20号機。



上2枚 中部天竜駅で出発を待つ、EF10 31号機+EF10 21号機。



上2枚 豊橋機関区で休む、EF10 22号機とEF10 23号機。



単機回送中のEF10 23号機。


本長篠駅を通過する、EF10 24号機。



上3枚 夏場は乗務員用扉を半開きにして、風を通していた。(上2枚 EF10 24号機)





上4枚 ED62を次位に従えた、EF10 24号機。(上2枚は三河槙原駅)


元、東京機関区所属の証、ステップ下部に施された白色塗装を纏った、EF10 35号機。


EF10のラストナンバー、41号機の単機回送。



ED62には魅力を感じず、片手間に記録しただけだった。









飯田線の旧国の代表格であった流電こと、クモハ52。戦災廃車006を除く5両が配置されていた。





上4枚 トップナンバーのクモハ52001。







上6枚 クモハ52002(上5枚は本長篠駅)


三河槙原駅



上3枚 張り上げ屋根が美しい、クモハ52003。(鳥居駅)





上4枚 こちらも張り上げ屋根の、クモハ52004。(上2枚は中部天竜駅)


三河槙原駅に到着した、クモハ52005他4連。



上2枚 三河槙原駅での交換風景。


上4枚 広窓で唯一張り上げ屋根ではなかった、クモハ52005。



飯田線は、元祖湘南電車80系の最後の砦でもあった。














当時何時でもどこでも見られた165系であったが、ここでの記録は少なかった。


クハ47153と顔を合わせる。(飯田駅)



上2枚 クモニ83102+クモニ13と並ぶ、急行こまがね。(飯田駅)



伊那小沢駅で普通列車と交換する、急行伊那。



上2枚 急行伊那


伊那バスの車庫を見下ろして、急行伊那が行く。



そして119系の新製配置により、旧型国電は一掃された。











あれから約30年が経過し、今度は旧国を一掃した119系が消え去ろうとしている。


2009.7、中部天竜駅







上6枚 2011.9〜11


(終)


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