懐かしの身延線


  昭和50年代前半、身延線では飯田線と同様に、非常に魅力的なスカ色の旧国や茶色の旧型電機が最後の活躍をしていた。飯田線に出向くにはそれなりの準備と覚悟が必要であったが、ここ身延線は関東地方に隣接しており、東京駅発や新宿駅発の列車で比較的容易に訪れる事が出来たので、頻繁に撮影旅行を企てた。最初に訪問したのは、高校受験が済んだ直後の1977年春。その当時はまだ、鉄道の写真撮影を始めて間もない頃で、地元では味わう事が出来ない風景の中にいきなり飛び込んだ形になり、自由奔放な構図で気の向くままに撮影を楽しんだ。その傾向は、ここを訪れる度に何時も現われ、スケッチ感覚で撮影を行っていた。

  ところで、身延線を代表する車両といえば、何と言ってもクモハユニ44であろう。同じ頃、飯田線のみで活躍していたクモハ52がファンの脚光を浴びていたが、荷物室と郵便室を兼ね備えた、非常に地味なクモハユニ44が私を引き付けた。同時に、EF10やそれを置き換えた関東流れのEF15も魅力的で、宇都宮運転所から転属した最終型のEF15 197号機、EF15 198号機に出会った時は感無量であった。

  「懐かしの飯田線」の公開後暫く経ちましたが、ふと身延線の写真を眺めていたら以外に沢山撮影していた事に気付き、2013年の夏季休暇を利用してフィルムスキャナーをフル稼働させて当時の画像を掘り起こしました。似た構図が多い事や、撮影対象が偏っている内容となっている事をご了承下さい。

撮影期間 1977年〜1981年 (一部、1983年頃)



初めに、揃った狭窓が特徴のクハ47を中心にご紹介します。非貫通式と貫通式があり、非貫通式の中には、雨樋直線タイプもありました。


集落の間を縫って、どんどん山奥へと入って行く。


急カーブを大きく車体を傾けて曲がって来る。


鰍沢口駅を出て暫くすると、川沿いに山を登って行く。


鰍沢口駅に入線する。右は62系。


西富士宮駅で出発準備中。



上2枚 原型顔のクハ47。 (東花輪駅、鰍沢口駅)




富士山の見えない竪堀駅を後にする。


減光して稲子駅に入線。



上5枚 列車番号47を掲示した、綺麗なクハ47051。3枚の前面ガラスが全てHゴムで固定されると、顔立ちが整った美人になる。(上2枚は身延駅)



上2枚 深い山あいを行く。


上1枚 雨樋直線タイプのクハ47061。


上1枚 雨樋直線タイプのクハ47063。


甲府駅の身延線ホームで一夜を明かす。


腕木式信号機とのツーショット。 (東花輪駅)



上2枚 下部駅に到着。


西富士宮駅を後にする。上3枚のクハ47は恐らく同一車両。


川幅の広い富士川をバックに。


窓枠、化粧板、背もたれ等、全てが木製。まさに旧国である。




上3枚 マンガを読みふけるお姉さんと、ロングシートで仮眠する山男達。シートの総延長は、約13mある。





貫通扉の付いた、クハ47 100番台(偶数番)



上2枚 キリ番のクハ47100。 (身延駅)




上3枚 クハ55319(右)と並ぶ、クハ47 100番台。 (甲府駅)


鰍沢口駅を後にする。



クモハユニ44 郵便荷物合造電車


  身延線の名物、長い形式名の変り種。全面を低屋根化した800〜802と、パンタ部のみを低屋根化した803の計4両が、甲府側の先頭に連結されて活躍していた。ここに紹介するのは803で、大糸線で活躍後に転入してきた為、800〜802と改造時期が異なり、この様な姿になったらしい。803には通風機が僅か3個しかなく、客室も荷室も夏場はさぞかし暑かった事だろう。


沼久保駅にて。






上2枚 クモハ41850と並んで、一夜を明かす。 (甲府駅)




血気盛んな積み込み作業。


整理されて積み込まれた「荷物」。


低屋根部の下から、荷室方向を望む。ベンチレーター1個が死角に入って、2個しか見えない。



大型金庫の様な重圧な扉。


上14枚 クモハユニ44803 (内、上8枚は富士駅)





以下は、クモハユニ44800〜802




上2枚 クモハユニ44801



東花輪駅に入線する。




上3枚 身延駅



上1枚 西富士宮駅



急ごしらえの荷物電車


  甲府駅始発の電車の乗降ドア付近には朝刊が置かれ、下ろすべき駅名が大きく表記されていた。また、クモハユニ44が通常の運用に入らない日はシートで車内を仕切り、一部を荷室扱いしていた。




上3枚 山積みされた荷物を、クモハ51の車内に搬入する。 (富士駅)



旧国の異端児、62系


  身延線を語る時に忘れてはならないのが、72系のアコモ改造車62系である。外観は殆ど113系だが、種車の台枠に113系の裾絞りボディがそのままでは収まらない為に、車体の裾を外側に押し広げている。旧国とは言え、外観は113系だったので、これがやってきた時は幻滅した。4両固定編成で、3編成が活躍した。








上1枚 芝川駅




  原則的に甲府側はクモハ、富士側はクハが先頭に立った。(62系は例外) 当時はクモハが41、51、60、クハは47、55、68が配属されていたが、撮影時に車番を記録する余裕がなく、(クハ47を除き)画像からの判別が困難なので、車両形式の記載は明確なもの以外は省略します。

右奥の傾いた標識には、次の駅名が書かれてあったのだろうか。




鰍沢口駅に到着。


クハ55他。 (西富士宮駅付近)






上5枚 笛吹川付近。






上5枚 沼久保駅とその付近。


東花輪駅


キリ番のクモハ60800は、ノーシル・ノーヘッダー車。 (甲府駅)


撮影地は不明だが、この車両は恐らく上と同一のクモハ60800。


ここでは希少形式だった、クモハ41850。


身延駅


寄畑駅



上2枚 身延駅



上2枚 下り列車を見送った一人の少女。 (沼久保駅)


クモハ41850の顔。 (甲府駅)


クハ47(左)とクモハ51又はクモハ60との連結面。 (身延駅)



西富士宮駅の朝


  ここには電留線があった為、何本かの列車の待機に使用されていた。この日は何故か早朝からここに降り立ち、やって来る列車や電留線から出て行く列車などを撮影していた。線路上での撮影は、予め許可を得て行いました。



上2枚 クモハ60806(左)とクモハ41850。


クモハ60806


クモハ41850




4本の列車が顔を合わせるゴールデンタイム。


電留線にいた1本が、ホームへ移動した。


クモハ同士が顔を合わせた。


クモハの低屋根部。



EF10型 電気機関車


  豊橋機関区には美しい半流タイプの20〜24号機がいたが、同じボディタイプを持つ甲府機関区の17〜19号機は新鶴見、東京、立川機関区から転属した非半流タイプの僚機により、一足先に淘汰されてしまい、その姿を捉える事は叶わなかった。しかしながら、ここには非溶接ボディを纏う1次型が多く残っており(東京地区からの転属車により、番号の入れ替えが発生)、良き撮影対象となっていた。運用を調べる手段が無く、いつも行き当たりばったりで、今度は何番がやってくるのかハラハラドキドキしながら、貨物列車の通過や到着を待っていたものだった。

  ここではボディタイプを便宜上3通りに分け、非溶接タイプを1次型(1〜16号機)、半流タイプを2次型(17〜24号機)、角型タイプを3次型(25〜41号機)という事にします。


1次型


8号機




鰍沢口駅で、13号機牽引の貨物と交換する。


上4枚 9号機





上4枚 10号機 (富士駅)





上4枚 立川機関区からの転属車、13号機


番号不明だが、恐らく休車 (甲府機関区)




3次型





上4枚 28号機 (上2枚は稲子駅)


休車となった東京機関区からの転属車、34号機。 (甲府機関区)





上4枚 ステンレスボディーを纏う、東京機関区から転属した37号機 (芝川駅)



EF15型 電気機関車


  老朽化したEF10型を置き換える為、長岡、高崎第二、宇都宮、東京、新鶴見等から次々に転属して来た。1ケタの若番から切り抜きナンバーの最終型までバライティーに富み、EF10なき後も、そのバリエーションを楽しむ事が出来た。


元新鶴見機関区の4号機。



上2枚 元宇都宮運転所の198号機。(富士駅)


元宇都宮運転所の197号機。


元高崎第二機関区の72号機。




上3枚 元新鶴見機関区の41号機。(東花輪駅)




上3枚 元新鶴見機関区の117号機。 (身延駅)


元長岡運転所の118号機。



上2枚 元長岡運転所の137号機。


元新鶴見機関区の193号機。 (稲子駅)


牽引機の番号が不明の小貨物列車。



ストラクチャー類


仲良く並んだ腕木式信号機。


闇夜に浮かびあがる、腕木。


ポイント切り替え装置。




上3枚 寄畑駅


十島駅ホームにセットされた、タブレット。(車窓から)


幅広の身延駅ホーム。


身延駅の駅標。


手回しハンドルが活用されていた、電鈴式警報機を備えた遮断機。後方のトラックは、日産キャブオールだろうか。(沼久保駅)


駅舎を建て替え中の身延駅。


山梨交通のバスが停車中の駅前広場。(車窓から)


先頭車の白熱灯に照らされた速度表示板や、進めを合図した腕木式信号機や踏み切りの明かりが眩しかった。 (恐らく、身延駅付近)



旧国の車内



上2枚 サロ45の格下げ車サハ45は、座席の形状や肘掛に優等車両の面影を残していた。 (画像はサハ45012)


クモハ60の車内。 (富士駅)


クモハ51820からクハ47を望む。


そのクハ47の車内。


クハ55の車内。


灰皿が装備されていたクハ47。時代を感じさせる。


大きくカーブした時に、窓から夕焼け空を撮った。



165系


急行富士川号や身延号として入線した165系。クハ153低運転台車改造の異端車、クハ164にも遭遇した。


笛吹川鉄橋付近。





上2枚 鰍沢口駅にて、62系と並ぶ。



上2枚 右手に富士山を仰ぐ。


後方は富士川。


山間に分け入る様にやって来た。



沼久保駅を通過。



季節列車の急行身延号。


ヘッドライトの位置が異常に高い、クハ165。(稲子駅)



上2枚 クハ153低運転車改造のクハ164。



番外編として、御殿場線で活躍した72系電車の疎開留置 (西富士宮駅付近)



三段窓のクハ、サハや、全金属車のモハを含む、貴重なる編成。


クハ79425


モハ72941


サハ78453


クモハ73024



更なる番外は、ED62に改造前のED61 15号機と16号機



上2枚 甲府機関区



旧国を一掃した、ワインレッドの115系


稲子駅


以上、最後までご覧頂きまして、どうも有り難うございました。


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