ヨンマルと過ごした日々 〜画像で綴る回顧録〜
平成元年に中古で購入した1981年式ランドクルーザーBJ41Vは、当に自分のライフスタイルにピッタリ合致したクルマでした。その当時は日本百名山を一つでも多く登る目標をたてていた為、遠方の場合は登山口までこのヨンマルで向かい、夕方に到着後テントを張りキャンプをして翌日早朝に山頂を目指しました。近場の場合は林道を出来るだけ深い(高い)所まで登り、登山の時間を稼いでいました。クルマにも少しずつドレスアップを施したので、下に掲載した画像はどれをとっても同一の姿のものはありません。というか、触れば触る程味の出るクルマだったので、しょっちゅういじっていたのです。
エンジンは2B型3168cc(93馬力)、変速機は昔のバスの様にストロークの長いマニュアル4速だったので、シフトチェンジは結構大変でした。おまけに真下から突き上げる様な悪い乗心地のサスペンション(4輪板バネ)、ショートホイルベースならではの絶え間無いピッチング、うるさいエンジン音等、何をとっても時代遅れの遺物の様でした。また、前オーナーが過酷な扱いをしていたのか、購入後約1年間はトラブル続きでしたが、手直しを重ねた結果、状態は何とか安定しました。また、偶然にもエアコン、パワステが最初から装備されていたので、長旅も疲れませんでした。
しかしランドクルーザー40系(ヨンマル)は、性能、デザイン共に流行を追わず、世界中の道無き道を何処までも進める様に無駄の無い設計がされた、最高のパフォーマンスを持つクルマです。そして、その直系の後継70系(ナナマル)が1984年より約20年間生産されて、ついに2004年7月で国内販売が終了となりました。惚れ込んだヨンマルを手放して丸10年が経過し、後継のナナマルも国内販売終了。ヨンマルファンとしてどうしようか、と何週間も悩みに悩んだ末に出した結論は、ナナマルの最終型のオーナーになる事でした。
2004年6月上旬に、佐野市のトヨタディーラーに展示してあった赤色のLX4ドアを宇都宮市のディーラーまで運んで貰い、小1時間をかけて隅々までチェックをしました。足を伸ばした状態の三脚を荷室に入れてみたり、リクライニングしない後部座席に家族を座らせてみたりと、時間はどんどん過ぎて行きましたが充実した一時でした。その間、随所にヨンマルの名残を発見し、10年前の記憶が徐々に蘇ってきました。そして受注残があと50台未満だと言われたのが決定的となり、6月5日に無け無しのお金を叩いてナナマル(KG-HZJ76K-RKPES)を発注しました。その3日後には受注終了との連絡が入り、内心本当にほっとしました。赤色のLXの展示車も直後に売れてしまったそうです。8月に無事納車されましたが、栃木県への納入車としては最後の1台のナナマルでした。
あれから丁度10年が経ちました。最後のナナマルは13万キロを走破し、故障知らずでまだまだ一緒に頑張って行こうと思っています。そして何よりのビッグニュースは、この10年間海外専用モデルとなっていたナナマルが、日本向けに期間限定で生産・販売される事になった事です。復活祭に出かけて、実車を見たり触ったりして来ました。フロントスタイルはフェイスリフトにより大きく変化しましたが、それ以外、基本的な作りは当時のままで、10年前の興奮を再度味わう事が出来ました。しかし、これだけで終わってしまっていいのか、実は何ヶ月も前から色々と悩んでいました。
思い悩んだ末に出した結論は・・・
ナナマルの増車でした。
2014年8月31日の朝、10年前からお世話になっているトヨタ自動車のディーラーにお邪魔すると、試乗可能な赤色のナナマルバンが展示されていました。何と10年前に見た赤色LXと同じ場所に。復活祭ではゆっくりと見れなかった新型ナナマルが目前に存在し、そしてキーも渡されて、気持ちはどんどん高ぶっていきます。今度のナナマルは、ガソリンエンジンで5速マニュアルミッション。今乗っているのは、ディーゼルエンジンの4速オートマチックなので、操作性が全く異なります。ですから、見た目は同じクルマでも、全く違ったフィーリングを楽しめるのではないかと期待をして、エンジンをスタートさせ出発しました。運転してみた感想としては、いつからナナマルは、こんな上品なクルマに変わってしまったのか、旧型ナナマルとは全く比較にならない程、全てが上質でした。静粛で力強いエンジン、静かな室内、安定したステアリング、安定した姿勢、ブレーキの良い利き具合など、何をとっても素晴らしい出来栄えでした。バンと呼ぶには勿体ない位です。バンの皮を被った乗用車といっても過言ではありません。
試乗後に購入契約をして、長い納車日までの時間をゆっくりと過ごすだけとなりました。四駆ライフは、世界のヨンマルからスタートし、ハイエース4WDを経て、Dナナマル+Gナナマルという感じで、今に至っています。これからも心身共に健康である限り、このクルマを愛して乗り続けていこうと思っています。
ヨンマルには林道が良く似合う。
熊の平信号所にて。
シンプル且つ機能的なマスク。この精悍で優しい表情に惹かれた。
ススキの生い茂る狭い林道に迷い込んでしまい立ち往生・・・
上2枚 宇都宮線の間々田−野木間の開けた直線区間は絶好の撮影ポイントで、頻繁に出かけていた。
茨城県内の漁港にて、小休止する。この頃はいかにも四駆らしい飾りつけをしていた。
エクステリア
鬼怒川の土手で、愛車2台を並べて。 |
紅葉の裏磐梯。 |
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磐梯山をバックに立つ、約20年前の管理人です。 |
熊の平信号所。 |
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八郎潟でのヒトコマ。 |
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アルミ+スタッドレスを初めて履かせた姿。 |
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遥々恐山まで遠征した。 |
遥か下方に関東平野を望める林道で小休止。 |
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涼風が吹き抜ける林道で。 |
釈迦ケ岳開拓村にて。 |
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ススキの隙間から顔を覗かせる。 |
自宅の車庫にてサイドビューを撮る。 |
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真冬の奥日光の白樺林にて。 |
このグリルガードは常時微振動し、フォグランプステーとしては 最悪だった。 |
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ボンネットはこの様に全開に出来たので、 メンテナンス性は良かった。 |
有名な2Bエンジン。バッテリーが片ちんばなのは、 私が入院中に1個のみ盗難にあった為。ボンネット ロックが無かったのが仇となった。 |
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インテリア |
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簡素なセカンドシートを折り畳むと、広大な 荷室が出現した。 |
最高時速120キロ?のシンプルなスピードメーター。 |
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荷室部には内貼りが無く、鉄板が剥き出しだった。後付けした スピーカーの前方は純正工具一式。 |
小さなダッシュボードの下の垂直に切り立った鉄板に、 メーター、スイッチ類が直付けされている。 |
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パワステ装備だったが、ハンドルは大径だった。 |
助手席下側にあったクーラー吹き出し口。強力な風量で、 効きは抜群であった。 |
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両毛線の思川付近に到着し、これから撮影準備に入る。 クルマは変わったが、見える風景は今も変わらない。 |