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2009年1月の業務日誌





2009年1月12日「研修の様子」
 2002年12月15日の日記でも紹介したみたいなんですが、改めて研修の1日の様子を紹介したいと思います。
まず7時起床→7時半からラジオ体操→朝食→8時45分から授業開始。
授業は1限が60分の8時間授業で、12時35分から13時35分が昼食休憩。
17時30分に授業終了で、この後は敷地内にある寮に帰り、夕食・お風呂・勉強など自由にできます。
平日は全寮制で、センターの門限が22時、消灯が(一応)23時。
寮内は禁酒・禁煙で、一応食堂で21時までならお酒も飲めます。けど生中400円という普通の値段だし、今回はちょっと
真面目に勉強しないとついていけないかもwという危機感から、あまり利用はしない予定w
寮は2人部屋と4人部屋があったけど、4人部屋の寮はつぶされたみたいです・・・なんか実習線を延ばすとかで。
まぁかなり年代物の寮だったのでw代わりに真新しい寮が完成していたり、教室のある棟も立て直しするとかで
研修センターも変わりつつありますね・・・まぁ前回入所したのが6年前なので、当然と言えば当然か。
食堂は前は少し古いドライブインのような感じだったのに、今はテーブルと椅子が取り換えられておしゃれになってるし、
お風呂場の脱衣所とか、前は脱衣籠しかなかったのに今は公共の銭湯みたいに鍵がかけられるようになってます。
いやぁ、時代の流れってすごいなぁってw

 授業で習うのは8科目で、制御回路(主回路・制御回路)、補助回路(ATC・直流補助・交流補助・点灯、戸閉装置・通信設備
付属機器)、ブレーキ・台車、運転法規、信号・線路、鉄道電気、運転理論、検査修繕。
内容は別物としても、在来線で習う科目もだいたいこんな科目です。
習う列車は700系8両のE編成と言われるもので、「レールスター」として走ってる車両です。
去年は0系6両R編成も同時に習っていたらしく、勉強量としては少しは楽になってるらしいです。そういう意味では
いい時期に0系は引退してくれたなぁとw
まぁ、0系も運転してみたかったですがね(´・ω・`)初代新幹線を全く知らない、逆な意味で可愛そうな世代ですよね。
 あとは実習があり、東京指令所とか見学に行くらしいです・・・さすがにこれは楽しみですね*^^*
中間試験が2月の上旬にあり、修了試験がセンターを出る直前にあり、もちろん合格点に達しないと追試・未終了で
さよならですw

 とりあえず基本的なことはそんな感じかな。
初日は午前は入所式して、テキストをもらいました。
テキストは各科目で必要となるテキストだったり、ツナギ図と言われる電気が流れる回路を示した図面です。
これは在来線の時ももちろん使ってたんですが、高校の電気科とか出てる人は見慣れてるのかすぐにわかってましたが、
流星なんか初めて見たのでちんぷんかんぷんでしたw
で、在来の時は113系の直流電動機だったので架線から取り入れた直流をそのままモーターに流していたんで、回路的には
分かりやすかったんですが、今回は交流の誘導電動機で、交流から一旦直流に変えて、再び交流に変えてとかでちょっと
めんどくさいですねw
あとは車両故障時に必要となる処置手順が書かれた本。これは0系からN700系までもらったので、ヲタ的にはお宝をいただいた
感覚ですww今度時間のあるときにゆっくり読んでみようかと。
 初日午後からは授業開始。まだ授業自体は少しゆっくりめですが、今週からはスピードアップしていくみたいなので、
しっかり勉強してきたいと思います。

2009年1月6日「ラストラン」
 えっと、年内にもう一度日記をあげるとか書いておきながら、結局あげることがなくw申し訳でした。
とりあえず先日、最終乗務を無事に終えることができました。
乗務終了前は誰か乗りに来てくれるのか?とか思っていたんですが、見事に誰も乗りに来ずw
その分自分の世界に浸ってというか、めっちゃくちゃいつもどおりな感じで乗務終了を迎えました。
なんというか・・・これで在来線運転士として最後という実感がなかなかわかずに。けれども、もう運転することは(恐らく)無い
というのを、家に帰ってからですが少しずつ実感し始めてきてます。
このお話はまた今度にでも。今回は前回の日記で予告しておいた十大ニュース・・・というか、軽く5年間を振り返って
みたいとおもいます。

 
                                 「初運転」

 これは初めて自区の車庫で起動試験として数メートル動かしたときですね。なつかしいw
展望ビデオとかにある様子を思い出しながら、「起動試験!」って歓呼して動かしてました。
車庫の中なので運転するというよりは動かしてみたって感じですが、生涯初めて電車を動かしたって感動は今でも忘れませんね。


                                  「初乗務」

 これは実際に営業している電車を動かしたときです。もうあの時から5年と9か月が過ぎたわけですが・・・
途中の退避駅でいきなり師匠から「YOU HAVE?」(←たぶん当時キムタクのパイロットのドラマをやってた時期らしいw)と言われ、
「I HAVE」と返事して運転台に座り、そこから師匠の言葉通りに運転していきました。
印象としてはですね・・・実は初めて車庫で動かしたときより覚えてないんですw
というのも、もういっぱいいっぱいだったんでしょうね・・・躊躇してる暇はなく、電車は動いてますし、駅についても余韻に浸る
ひまもなく、すぐに次の運転に取り掛かって・・・。


                                      「再試験」

 1発目の試験で不合格になり、1カ月後に再び試験を受けました。とりあえずめっちゃくちゃ声を張り上げ、運転したのを
思い出します。で、不合格だった理由が「制動時分」って言われてたので、免許取得してからはとにかくブレーキ時分を少なく
した運転を目指そうって思い、自分なりのこだわりと言うか、運転士でいる間の永遠のテーマでした。
究極ブレーキを目指すばかりに、何度も行き過ぎ後退ってのを経験しましたが(汗


                                      「免許取得」

 流星たちより少し前の人は運輸局へ免許をもらいに行ってたんですが、流星たちの時は送られてくるのを支社で受け取る
形でした。なので交付日時は支社で受け取った日時でいいのかな?一応免許の発行日は2003年10月24日、支社で受け取った
日時は10月27日でした。会社から正式に運転士として辞令をもらったのも10月27日でした。
ちなみに再試験なので同期より1か月遅いです。これが後々新幹線試験を受ける時にも響いてくるとはこの時は思っても
いなかったですがw


                                     「初一人乗務」

 各停電車区のわりに、いきなり113系出区からという行路でした。
たいてい独り立ち一発目は指導担当とか乗ってきてくれるんですが・・・誰も乗ってこなかったですw
この車両は旧式なのでスイッチ整備とかがややこしく・・・めっちゃくちゃ確認して運転を始めたのを思い出します。
一人で運転台に座ると、今までは絶対に後に続いて歓呼が聞こえてきていたのが聞こえなくなり、運転台がすごく静かというか、
広くなったって感覚になりました。
その分誰も間違ってても指摘してくれないので、怖いなぁって改めて思いましたね。


                                      「台風接近」

 ここらからは時系列バラバラで印象に残ってることをお話していきます。まず流星が乗務してきた中で一番乱れたのが
この台風接近の時ですかね・・・2004年10月くらいだったと思います。
各駅停車ばかりの行路で、京都までは素直に行けたんですが、帰りに明石川が氾濫してるとかで須磨折り返しになり、そこから
抑止ばかりで・・・結局8時間くらいかけて京都に戻ってきましたw
帰りも長岡京や山崎で1時間ずつ抑止とかで・・・もう車内も台風だから仕方ないって感じで、ホームでお客と一緒に
「なかなか台風過ぎませんね〜」とか雑談してましたwそういう時代ですねw
まぁまだ流星はマシだったみたいで、中には機動不能になったり、列車で一夜明かした人とかもいたみたいです。


                                       「新駅開業」

 約6年近く乗務していると新しい駅もたくさん増えましたね。
まずは「ひめじ別所」が開業したのかな?それまでは「姫路貨物ターミナル」って駅名でした(←貨物専門駅)。
続いて「さくら夙川」、「島元」、「はりま勝原」、「須磨海浜公園」、「桂川」って感じですかね。
「ひめじ別所」や「はりま勝原」はいいんですが、他の駅はカーブの中にあったり、勾配の中にあったりで、開業後は慣れるまで
ブレーキ扱いがほんと大変でした。


                                      「乗務範囲縮小」

 これは乗って2年くらいかな?乗務範囲が縮小されました。それまでは流星の地元の駅とかも行ってたので、少しさびしくは
なりましたね・・・結構のんびり出来ていい区間だったんですが。


                                      「防護無線受信」

 よく「列車を緊急に停止する信号」とか説明されますが、それの正式名称です。ぶっちゃけ流星は数えるくらいしか聞いて
ませんw6年近く乗務してて。いやぁ、ほんとトラブルに巻き込まれるのが少なかったと思います。
他にも踏切にある非常ボタン。これの正式名称は「特殊信号発光機」と言うんですが(非常ボタンの正式名称では無いんですがw
非常ボタンの正式名称は踏切支障報知装置)、これを見たのも数えるくらいですね・・・一度止まり切れずに赤信号を通過した
ことがあります。閉塞信号機だったので閉塞指示運転と言う、速度15Km/h以下の運転を実施したことはありますが・・・
ほんとそれくらいですかね。あとは駅にある非常報知灯。これも1回見たくらいです。


                                      「車内非常ボタン」

 その流れで。これは2度押されました。1度は急病人で、1度はカバンがドアに挟まったからと。
昔はそれほどでもなかったんですが、今はなんでもかんでも押されますね・・・気分が悪いから押しましたとかw気持ちは
わからないでもないけど、特急みたいに次の駅まで1時間とかじゃないので、5分ほど我慢して次の駅で降りた方がよっぽど
処置が早いとは思うんですがwみんな列車が止まるってわからずに押すんですよね・・・そういうところはきちんと説明した
方がいいんですよね、絶対。じゃあ押すか押さないかは判断し易いでしょうし。


                                         「おほめ」

 1度だけ直接ほめられたことがありました。「運転士さん、運転うまいね」って。
特に意識してたわけでもなく、普通に運転していただけなんですが。いやぁ、めっちゃくちゃ嬉しかったですね。
定時について当たり前。停止位置に止めて当たり前。衝動が少なくて当たり前。で、当たり前の仕事を出来て当たり前
なわけですよ、プロとして。ただ、その当たり前を褒められると、やっぱめちゃくちゃ嬉しいです、はいw
あとは・・・普通に客席の声とかは聞こえてくるもんなんですが、何気に会話の中で「(ぴったり止めて)すごいわ〜」とか
聞こえてきたりすると・・・にやけますねww


                                         「車掌乗務」

 まさかまた車掌を経験することになるとは思ってもいなかったんですが、これはほんとにいい経験になりました、今思えば。
乗りたかった優等列車にも乗れましたし・・・運転してても注意する部分が変わったり、逆に変に注意しすぎてたけど、ここは
それほど注意するまでもなかったなって部分も多々あり。本当に、一つ成長できたなと思います。


                                        「指導操縦者」

 まさか流星が指導操縦者になれるとは思っていなかったのでw一時は「学生の延長で仕事をするな」って怒られた時期も
ある流星がw
まぁ結局見習いを育てるということは出来ませんでしたが・・・自分の師匠がどういう気持ちで自分のことを見てくれてたのか
とか、ほんとかじり程度ですが理解できてよかったなぁって。


                                         「ブレーキ研究」

 えっと、永遠のテーマですねw特にここ1年ぐらいが自分でも実感できるほど技術は上がったんじゃないのかと思います。
確かに、昔は昔でかなり究極のブレーキってのを研究してましたが、結構衝動を犠牲にしていた部分はあったと思います。
そうじゃなく、理論的な観点からってのを取り入れてやってみたのがここ1年くらいじゃないのかと。
犠牲にしなきゃいけない部分が出たので、その究極のブレーキに比べるとやっぱ若干回復率が落ちたりもしたと実感しますが、
そこは今のブレーキ研究をつき進めた上での壁だったんだろうと思います。今後はその壁をどうするのか。どれほどまで
衝動寄りで運転するのかだったり。その研究も、とりあえず終わりになっちゃいましたが。
 運転士はやっぱ職人だと思います、そういう研究を積み重ねていくってことにおいて。どんなに今後オートマ化が進もうと、
こうして運転士の技量を必要とする部分が残されている以上は。そこは機械には出せない、人間の個性とも思います。


 と言う感じで、結構さくさくと書いちゃいましたが・・・とりあえず今回はこんな感じで終わりたいと思います。
今後は研修日記になるのかな?研修日記のネタに詰まれば、また運転士の時のお話を出来ればと思います^^
で、今後は予告通り土日の更新になると思います。






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