1.序章
というわけで早速緊急企画「運転士を目指して」を更新していきたいと思います。の前に・・・
一応流星の幼少期というか、どんな鉄ヲタ人生を歩んできたのかwを軽〜くご紹介したいと思います。
流星が鉄道に目覚めたのは・・・「これだ!」ってのはありません、ほんと物心ついたころから、なぜか
鉄道が好きでした。飛行機・・・でもなく、トラック・・・でもなく、なんでだろ?なんか電車が好きでした。
ちなみにうちの親父は大の車好きで、旅行となれば常に車で、電車の旅行ってのはほんと数えるくらい
しかありませんでした。車で移動中に踏切が鳴れば親父は「チッ!」だったのに対し、流星は
「ジーザス!!!ww」って感じでw
流星の家からは新幹線と在来線が窓から見えるような環境で過ごしてました。ベランダに出るとより
見えやすいんですが、少しばかりベランダから身を乗り出すような状態で見なきゃいけませんでした。
5歳くらいの時、新幹線見たさに身を乗り出し過ぎて2階のベランダから転落しましたwwwww
それくらい鉄ヲタだったみたいですww(ちなみにその時あごを強打して、今あごが出てますww)
あと母親が言うには、一人で留守番をさせる時でも鉄道のビデオを見せてたらおとなしく留守番してた
ので扱いやすかったとwww
幼稚園くらいの時、近場の線路に無断立ち入りして・・・信号所のお兄さんにつかまったりしましたw
(注:流星の幼少期の時代ですから!それに列車本数もものすごく少ない場所なので!!今は絶対
危険です(当時もキケンでしたがw)ので線路には絶対!無断で立ち入らないように!!w)
それからは母親が「電車見たかったら駅に連れてってあげるから絶対入るな!」って怒られw週に1度
くらい駅に電車を見に行ってました。
小学生になり、図書館で「一人っ子テッチャンの一人旅(だったかな?)」って本と出会い、一人旅に
憧れるようになり・・・小学3年生の時に初めて一人旅に出ました・・・2つとなりの駅まで。
母親に「一人旅をさせています、補導しないであげてください」みたいなのを書いてもらって一人旅を
しました・・・うん、今でもその時の記憶はよく覚えてて、駅前散策・・・って言っても数百メートル歩いて
公衆電話から家に電話掛けたくらいなんですが、初めての一人旅・・・楽しかった。
それからどんどんと距離は延び、隣県に行ったりだとか新幹線に乗ったりだとかしました。ただ、小学生の
間はさすがに泊まりの一人旅ってのはしなかったです。
大きな変化が訪れたのは中学になってから。流星が小学生の時は鉄ヲタって流星一人しかいなく、
鉄活動をするとなると流星一人でするわけですが、中学になると隣の小学校と合流し、その隣の小学に
鉄ヲタが二人もいてww
一人はこのHPの副管理人をしてる(たぶんw)「吹田支店長」と、掲示板に何度か書き込みをして
もらっている「でんでん」君です。特に「でんでん」君は初めて部品発売会につれてってもらったり、
家にNゲージのレイアウトを持ってたりでよく遊び、中学時代はでんでん君と旅行に出かけたり、
初めて泊まりがけの鉄道旅行に出かけたりしました。
副支店長とも鉄道旅行を何度もしたわけですが、副支店長とは高校になってからが多く、それも18
きっぷをフルに使った長期旅行が結構多かったです。
二人とも基本的に「のり鉄」ですが、それぞれ個性があり、「今回はでんでん君とだからこんな
感じだなぁ」とか、「今回は副支店長だからこうなんだ」という感じで楽しかったですね。
濃いさwでいうと断然「副支店長」で、流星も「こういう旅がしたい!」って譲れない部分があったので、
副支店長との旅は基本的に夜行は一緒に過ごすけど日中はお互い行きたいとこや乗りたい列車に
乗るって感じで、別れて旅してました・・・昔の18だから出来た感じですが。
この3人は中学・高校と同じだったんですが、高校の時に大きな変化というか・・・流星達の学校は
いわゆる進学校で、就職活動にあまり力を入れて無い学校でした。流星も高校3年の春くらいまでは
とりあえず大学に行って・・・とか思ってたわけですが、この時くらいに図書館で読んだ「鉄道の運転士
になるには」って本に、現職(車掌や運転士)を続けるなら高校卒業で就職、大学卒業で就職すると、
いわゆる「キャリア組(本社勤務)」になるみたいなことが書いてあって、慌てて就職活動するように
なりましたw(今は大学卒でも「鉄道職」という形で高卒と同じ形態を歩むことができるコースが出来
ました)。ただ就職活動って言っても別に企業に訪問したりするわけじゃなく、とりあえず就職活動の
先生に相談して、求人募集をもらってきてもらうくらいだったわけですがw
2.就職活動
ようやく本題ですねwここらから少し詳しくお話をしていきたいと思います。
まず進路については5月くらいにそういう相談をして、6月の終わりくらいには企業から求人募集をもらって
きた・・・と思います。
ちなみに今の鉄道会社を選んだ理由は・・・流星の地元の鉄道会社がそこしかなかったからですw
たぶん他の鉄道会社とかがあればそこも候補になってたんだろうと思いますが、とにかくこの生まれて
から見る鉄道というのはここが一番多く、それに中学の時だったかな?初めて681系を見た時に
「すっげぇカッコいい!!」と思い(あ、これいうとどこの鉄道会社かわかるかw)、「この列車を運転
したい!」と思ったのも大きな理由ですね。あとは高校受験中だったにもかかわらず試験走行をその
例の鉄ヲタ2人と駅に撮りに行ったくらい魅了された「500系新幹線」。運転したい・・・って感覚には
ならなかったというか、たぶん新幹線なんて無理なんだろうなって感じではいました。だから外から見て
楽しむというか。
・・・とにかく、どの鉄道会社よりも「速度」に力を入れてて、元々高速運転が好きな流星にはものすごく
魅力的な会社でした。
就職活動と並行し、大学へ行く進路というのも考えてはいました。やっぱ鉄道会社に入りたいのが
大前提だったので、鉄道会社への就職率が高い学校・学部を選んだり、東京交通短期大学の
オープンキャンパスにも参加しましたよ☆当時の学長さん(今も同じ人か知らないですが)がすごく
いい人で、生徒さんも鉄道が好きなんだって1日でわかるようなオープンキャンパスで、東京交通
短期大学へ行くのもいいなって思ってました。
そんなこんなで夏が過ぎ、今の鉄道会社の就職試験を受けたのは9月に入ってからでした。
中旬に1次試験を採用される支社で受け、9月の終わりくらいに2次試験本社で受けたと思います。
1次試験は学力審査と運転適性で、これは運転士になるために必要な試験(脳波検査を除く)を
受けたと思います。
学力審査は中学卒業程度の試験だったと思います・・・めちゃくちゃ難しい試験では無かったです。
ユニークなのは「500系新幹線の最高速度は?」みたいな、鉄道会社ならではの一般常識?な
問題とかありました。
運転適性は「クレペリン検査」だとか、空間図形を用いたものだとか。これは入社しても運転士の
試験を受ける時に絶対受けますし、クレペリン検査は3年ごとに受けます。
2次試験は面接と医学適正。医学適性は視力や聴力はもちろん、運転士の試験では脳波を観測
したりします。脳波ってのは自分でどうにか出来るものじゃないので・・・例えば頭部に強い衝撃を
受けただけで脳波が乱れたりするらしいです。
5歳の時に転落した時、脳波が乱れる可能性は十分にあり得たわけですが、流星の場合はあごから
落ちたので脳にそれ程影響が無かったのでは?って言われたことがあります。
他にも中学の時に消しゴムで野球しててw友達が打った消しゴムが思いっきり左目に命中し・・・
けど、黒目じゃなく白眼に当たり、数週間の充血で収まったってのがあり・・・仮に黒目に当たってたら
失明してただろうとお医者様に言われました。失明してると当然ながら運転士どころか車掌も出来て
無かったと思います。
なかなか・・・今思えばこそってものはありますが、けど自分で防げる部分はいいんですが・・・。
とりあえず、運転士を目指す人は、あまり無茶なw活動的なのはいいんですが、けど危険なスポーツ
とかありますよね?そういうのは・・・出来れば控えた方がいいのかなって。
ただ、流星が歩んできたように「運」というのは当然あります。何かが欠けてもあきらめざるを得なかった
という感じで。
10月中旬に無事に内定をもらい、4月の入社までに何度か入社後お世話になるグループと担当の
リーダーとで食事会に呼ばれ、事前教育みたいなのをしました。
当然入社した年度で「同期」ってなるんですが、特にこのグループはいわばその同期の中でも最小
単位の「家族」で、入社から10年経ってみんな職場がバラバラになってはいるものの、たま〜に連絡
とりあってお互いの場所での頑張りを確認し、はげみにし合ったりしてます。
さて、残された高校生活は大学受験も無くなったので卒業までは結構のんびり過ごしましたw
春からは働かなきゃいけなく、自分の時間を持つのも少なくなるかなと思い、その分鉄道旅行を今の
うちにしようと思い、卒業後のに10泊11日で北海道一人旅を計画しました。
長期休暇が難しいこの会社で、これだけの旅行が出来たのは正解でしたし、何より今思うと当時には
当時にしかできない旅行があったんだなって。今だと「えぇい!金出してでも飛行機で移動しちゃえ!」
とかあったんでしょうが、学生ならではの旅行が出来てよかったかなって。
そういえば・・・たぶん過去にも書いたことあると思うんですが、この時北海道フリーきっぷを使って
旅行をしたんですが、その初日に特急で検札してた車掌さんから言われた一言がすごく印象的で。
「今日からなんですね〜、北海道の大自然をたくさん味わってくださいね」
ちょっと言葉が違ったかもwけど、自然とそういうことを言われたことに、ものすごく嬉しくて。
将来車掌になったらこういうこと言いたいなぁって思いました・・・ちなみに、未だにそんな言葉は言えて
ませんが・・・なかなか、難しいですよね。
とにかく、この旅行は今でもすごく心に残ってます。こんな鉄道旅行、またしたいなぁって。
えっと・・・こんな感じでわかりますかね?wとりあえず今回は就職するまでをご紹介しました。
次回は就職して駅員になって・・・車掌試験を受けるくらいまでの1年をご紹介出来ればと思います。
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