このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

intermission

Vol.4

1980年に四国へ行きました。室戸岬、足摺岬、竜串高知市内、栗林公園、小豆島などへの一人旅です。その際に撮った写真です。

宇高連絡線には、ホーバークラフトも就航していました。1972年に初代「かもめ」が1980年にはこの写真の2代目「とびうお」が登場しています。

右は高松駅です。4番線は、DF50牽引の列車です。後ろのホームの列車には「オハフ33 1005の表記と「高知⇔高松」のサボが下がっています。

当時の四国にはまだまだDF50が頑張っていました。宇高連絡線では、早速讃岐うどんを食べるのが通例でした。今ほどブームではなかったですが、かわらず、美味しかったのを記憶しています。

まだ本四連絡橋もない時代、均一周遊券で四国へ渡る経路は、岡山から宇野線、宇高連絡線を経由する事になります。

岡山駅で宇野線への乗り継ぎの合間に、岡山電軌の写真を数枚撮りました。当時の岡山電軌には、秋田市電、呉市電、名古屋市電、大分交通、東武日光軌道線の車両が集まっていました。

上と左の写真は3000形で、東武日光軌道線の100形です。塗色が違っています。下の3005号は、2005年4月に、日光軌道時代の塗色に復元されました。夢二号、KUROと合わせ、3両が現存しています。

中段は元名古屋市電の3800形3801号と3802号です。この形式は現存していません。

路面電車が衰退していった時期を乗り越え、今ではMOMOと呼ばれる低床式の車両の導入など、積極的経営を行っており、頼もしいばかりの路面電車です。

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つづく

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