このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西武多摩湖線

西武線の中で、最後まで20m車の入線を拒んで
きた線です。終点国分寺駅の構造から、
近年まで17m車がいろいろな組み合わせで
走っていました。旧501形の351形も、
ここが最後の仕事場でした。
まだクモハ371形とサハ1311形の3連で
運行された、最後の時代に行ったようです。

クモハ371形の運転台です。
圧力計のみで、速度計すら
ありません。

青梅街道駅に入る国分寺行
3連です。空き地が広くある
ものの、光線が悪く、側面が
影になってしまいました。
先頭は375です。

青梅街道駅東側の空地から
駅に停車中の371形です。
日陰側からの撮影で、かなり
見づらい写真になってしまい
ました。でも、当時の駅の
たたずまいがわかります。

上と同じ位置の写真です。
先頭は371のようです。
中間車はサハ1311ですが、
これは改造をかさね、末期
まで使用されました。

これは、萩山駅に進入する
所だと思いますが、はっきり
覚えていません

この写真は、萩山駅脇の
踏み切りあたりで撮ったもの
ですがポールの位置を何も
考えずに撮っています。

萩山駅を踏み切りから望む
写真です。左は多摩湖線で
中は拝島線です。
クモハ411とクハ1451の
2連の組合せが来て、開放、連結していました。

上の写真と、ほとんど変わら
ない構図の芸のない写真
です。来た電車と出て行く
電車と言うだけです。

萩山に拝島・多摩湖行きが
入線して来ました。
ここで切り離しそれぞれの
行き先に出て行きます。
丸囲みのサボがなつかしい
です。

上り西武新宿行が来ました。
拝島発と多摩湖発はどちらが
先か、全然覚えていません。
いずれにしても、ここで連結
です。

1973年8月の暑い日に
青梅街道駅を訪れています。
でも、ネガに写っているのは
これ一枚と、最後に入れた
夏の日差しの中の木が3本。
いったいぜんたい、何をしに
行ったのだろうか。
すでに、忘却の彼方です。

とは言え、私にとっては貴重な
1枚になりました。青梅街道駅
は、今でも好きな駅です。
この1枚を除き73年3月です。
TOP

多摩湖線国分寺駅の写真です。
フィルム入れ替え直後の1枚で、
光線かぶりを起こしています。
でも、国分寺駅が写っているのは
これ1枚だけです。
17m車3両が限界という状況が
わかると思います。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください