このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

ある雪晴れの朝に

 

 

■飯山へ

 午前 5時。愛車のエンジンを起動させると、温度計は− 7℃を示していた。長野市内はこの冬一番の冷えこみだ。しかもさらに寒い飯山に向かうわけだから、道中がどうなるかいささか不安になる。

 国道18号を北に向かう。東の空は赤みがかっているが、まだ上天は夜の藍が深い。他県ナンバーの観光バスが志賀や黒姫を目指して陸続と走っている。本格的な冬がきたかと、深く実感できるすがたである。

 浅野で右に折れ、立ヶ花付近を通過。温度計は−12℃まで下がった。ここまで寒いと、路面はもはや滑らない。一種の安心感を抱えながらハンドルを握る。こわいのは、スピンやスリップよりも、むしろ狭隘部での対向車だ。

 国道 117号は、替佐から北の区間において特に狭い。しかし、昭和56(1981)年に国道 292号(長丘バイパス)が開通するまで、即ちほんの20年ほど前まで、中野以北ではこの狭さが標準であったのだ。これほど狭い道路に大型バスが行き交っていた時代があったかと思うと、時代は変遷したものだと痛感する。

 千曲川に沿って狭い道を進む。古牧橋で国道 292号に合流。予想どおり、雪が一層深くなる。とはいえ、ここから先には散水消雪が待っている。路面がしっかり出ている区間もあり、安心感は今までの比ではない。

 午前 6時すぎ、飯山に到着。温度計は−13℃だった。

 

■寒さという試練

 行動するにはまだ早い時間だ。コンビニに立ち寄り、軽い朝食をとりつつ時間を潰す。窓の外を見れば、温度計のとおり、いかにも寒そうな様子ではある。

 川霧が湧きあがっている。千曲川の水温は 0℃より上、外気は−10℃以下であるから、水蒸気は瞬時に氷結して霧となる。それにしても盛大な川霧だ。対岸の高社山が見えないほどだ。

 寒さ、というものは人間にとっての大きな試練だ。寒いところでは人間は動けないし、体調だって悪くなる。映画「タイタニック」では主人公たちが浸水しつつある船内で奮闘する様子が描かれているが、あんなことは現実には“決して”ありえない。なぜならば、冷水に足を浸してしまえば最後、人間のからだは芯まで凍え動けなくなるからだ。寒さの中では、人間の活動は著しく制約される。

 寒いところで動くのは、辛い。冷たい風に煽られれば涙だって出てくるほどだ。

 

■雪という佳景

 午前 9時になった。川霧はまだやんでいないが、幸運なことに一帯は晴れてきた。そろそろよいかと、外に出てみる。

 なんと素晴らしい風景か、と感嘆する。

 雪はよく降り積もり、かつ晴れ、空気は清冽に澄み渡っている。遠く橋脚工事の足場では除雪作業をしていて、はねのけられた雪が粉となり、陽光を浴びてダイヤモンドの粉のごとく輝いている。

 雪が深く積もると、世界が変わる。白雪は地を覆い、風景を根底から変える。同じ場所にいながら同じ場所でないという感覚。同じく寒い場所であっても、長野市内から見ればほとんど異世界のようだ。

 遠景の斑尾高原も美しいが、近景の横吹尾根が実に美しい。木々に雪がしっかりと付き、凍える白が、透きとおるほど深い青空に映えている。

「綺麗だなあ」

 脊髄の芯を引き出されるかのような鋭い興奮に、覚えずしてつぶやいてしまう。

 

 このあたりの地理は、昨年一年の活動を通じて、知悉しているつもりでいた。ところが、農道は除雪されていないし、至るところで工事しているしで、状況は大きく変化している。「自分の場所」に辿り着くことは容易でない。

 右往左往しながらようやく到達する。木島線は、すっかり雪に埋もれていた。見晴らしが佳かった築堤も、雪に包まれ静かに時を送っている。なにもかも覆いつくし、光り輝く白一色に染めあげ、大地を美しく彩る、深い雪。なんという魅力。なんという魔力。

 

 

 雪のある風景は、美しい。

 生活するうえで、雪はただの邪魔ものでしかない。寒く雪深い地の冬を生きていくには、辛きことばかりが多い。

 それでもなお、雪のある風景は美しい。雪のある風景は、美しい。

 

 

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