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第41話、クレフ編(2)その男ジョン・万次郎

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光が突然クレフに尋ねだした。
「ちょっとまってよ!!クレフ、私の祖先を知っていたなら、なぜ7年前にセフィーロにきたときに・・。」
「なぜ教えなかったかを聞きたいのか?、あのときはまだおまえが、そのシドーの子孫と言う事はまだ知る由も
なかった。今回きたのはおまえの昔話だけではない。いまお前達が戦っているそのディアマンテ帝国にも大きく
関わっているからだ。」
「聞かせてもらおか・・・。」
「いまから170年前の話しだ。西暦になおすと、1850年だな・・・・。」
場所は光の別荘から、170年前のセフィーロに時はさかのぼる。導師クレフそして若き剣師シドーの姿があり、
テラスへと続く通路を歩いている。
「いったいセフィーロ王はなぜ自分とクレフ様を呼んだんですかね?。」
「・・・・わからん・・。」
そしてセフィーロ王の前に二人はきた。そして王は静かに立ち上がり二人に言葉を交わす。
「そちたちに異世界へ行ってもらいたい。」
「何ゆえですか?セフィーロ王。」
「異世界へ行って、魔法騎士を見つけてきて欲しいのだ。異世界の場所は”地球”というところだ。」
「地球!?。」
「そうだ。クレフそしてシドーよ。そちたちに地球へ行って来て貰いたいのだ。シドーはクレフを護衛しろ。」
「・・・かしこまりました。しかし地球へはどうやって・・」
「”柱”に送ってもらうとよい。そして戻るときは戻りたいと強く念じるのださすればここへ戻ってこれるだろう。」
場面は光の別荘
「柱?、エメロード姫ではないよね。」
「エメロード姫ではない。」
そして170年前のセフィーロ
当時のセフィーロの柱はまだエメロード姫ではなく、セフィーロ王の実子ディーノ王子であった。
そして柱の間、クレフは意思の力で身長を170センチぐらいにのばし、シドーは19世紀のアメリカ人のような服装を
していた。
「なんだ。シドー、その格好は黒付く目の服なぞきて・・・。」
「導師クレフ、異世界の地球というところではこういった格好をしていると、場内の書物でみましたが・・・導師も着替えた
方がいいですよ。」
結局クレフもシドーと同じ服装に着替えた。そしてディーノは二人を労った。
「導師クレフ、そして剣師シドーよ。セフィーロの未来をお前達に託す。そしてコレを持っていけ。」
コンパクトのようなものだった。
「ディーノ様コレは?」
「これがあればいつでもこのセフィーロに戻ってこられるものだよいななくすでないぞ。」
そして柱のディーノによってクレフとシドーは1840年のアメリカへ送られる。そして二人は何とかその世界の人間にもぐり
こみ、ハリス(※タウンゼント・ハリス)の側近となる。
「ハリスだってまさか日本に開国を促したあのハリスか!?」
「そうだ。私とシドーはそのハリスという人のもとで働いていた。彼は当時のアメリカの外交官だったので世界を知るにはいい
機会だと思っていた。そしてシドーもその世界の言葉の学習はもとよりいろいろな書物を読みふけっていた。」
そして月日はながれ、1856年のことである。
「ハリスが日本と言う国へ行くといい私達も同行することになった。そしてシドーは日本という国に興味を持ち始めたのもちょうど
そのころだった。」
黒船内、ハリスとクレフ、シドーが船長室にいる。
「君達に紹介したい人がいる。ヘンリー君入ってきたまえ。」
「お呼びですかハリスさん。」
「紹介しよう、通訳のヘンリー・ヒュースケン君だ、日本の言葉は彼に教えてもらうといいだろう。」
「シドーです。ぜひ日本語を教えてください。ヘンリーさん。」
「あなたがシドーさんですね。ハリスさんからあなたのことはよく聞いています。とても日本に興味をお持ちだとか。」
「はい。書物には緑あふれる豊かな国と聞いています。私も行って見たいと思っていました。」
「それはよかったですね。いいでしょう。教えて差し上げましょう。」
ヘンリー・ヒュースケン彼はアムステルダム生まれのオランダ人で、父は石鹸製造業者のヨアンネス・フランシスクス・ヒュースケン、
母はヨアンナ・スミット。 米国に渡り帰化する。1856年(安政3)に初代総領事タウンゼント・ハリス(Townsend Harris)に雇われて来日し、
ハリスの秘書兼通訳を務めた。1861年1月14日(万延元年12月4日)にプロシア使節宿舎であった芝赤羽接遇所(港区三田)から善福
寺への帰途、芝薪河岸の中の橋付近で攘夷派の薩摩藩士、伊牟田尚平・樋渡八兵衛らに襲われ、翌日死亡、享年28。
(※ウイキペディアよりコピペ)
「ヒュースケン・・・!!」
山波がその言葉に反応した。
「ヒュースケン・・・。」
光も反応した。
「そして我々は日本へやってきた。ハリスそしてヒュースケンとともに・・・シドーのいったとおり日本は緑あふれる豊かな世界だった。そして
ハリスも幕府の老中堀田正睦(まさよし)をも説得していたが、なかなか交渉は成立しない・・・」
「それもそうですよ。クレフさん当時の日本いや江戸幕府はゴタゴタで、世界情勢はおろか、将軍の世継ぎでもめてる最中でしたからね。
その候補に一橋慶喜(※徳川慶喜)そのバックの革新派大名は薩摩・島津斉彬、越前・松平春嶽、水戸・徳川斉昭等そして土佐の山内容堂
それに対し保守派の大名は慶福(※徳川家茂)を推していた。それなので交渉なぞうまくいくわけがない・・でもそれを強行した人がいた。
それは大老に就任した彦根藩主井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼!!。」
「くわしいのね山波君は。」
「伊達に総長はしていませんよ。」
「山波君の言うとおりだ、その井伊という大老は、朝廷の許可なしにアメリカと条約を結んだそれはいいだが、日本にとってはあまりに不平等な
ことばかりだった。それでも井伊は将軍の跡継ぎを慶福と決め、まわりが反対する尊皇攘夷派や一橋派の大名に徹底的に弾圧を下したのだ。」
「安政の大獄だ・・・」
「そうだそして橋本左内・吉田松陰もその手にかかってしまうそしてある事件が起こった。1860年3月3日のことだ。場所は桜田門外。
17名の水戸浪士と1名の薩摩藩士によって、井伊直弼は暗殺されてしまったのだ。」
「そんなの学校で習ったから知ってるわよ。クレフはどうなったのよ!!。」
「あれは忘れもしない1860年12月4日、私はシドーとともにヒュースケンのお供をしていた。」
芝薪河岸の中の橋付近・・・
「今日は冷えますねヘンリーさん。」
「そうですね早く善福寺へ着きたいですね。」
そのときであった。たくさんの侍達がクレフたちをとりかこんだのである。
「何者だ!!」
「攘夷!!。」
その侍は突然斬りかかってきた。しかしシドーは受け止める。
「ヘンリーさん早く逃げて下さい!!。」
しかし、ヒュースケンは薩摩藩士、伊牟田尚平・樋渡八兵衛らの手にかかってしまう・・・
「そのあと私もシドーも深手を負い必死に逃げた・・・そして逃げついた先の家の前で我々は気を失ったしまったのだ。」
そしてしばらくして・・・
「おう気がついたかい異人さん。」
「ここは?」
「わしの家だゆっくりしていくといい。」
「私はクレフというもの・・・助けてくれたことは礼をいう。そなたは」
「わしかわしの名はジョン・万次郎だ。幕府の通訳をしている。」
ジョン・万次郎(1827〜1898年)は波乱万丈の人生を送り幕末の日本で活躍した通訳・教師。本名、中濱万次郎(なかはままんじろう)という。
「ん・・・。」
「そっちの御仁も気が付いたようだな。」
「それにしてもおんしら、げにまっこと運がいいぜよ。傷も見た目よりは浅かったようじゃな。」
「誰だこの男は。」
「シドーこのかたは我々を介抱してくれたマンジロウさんだ。」
「マンジロウ・・・。」
そしてクレフたちは激動の幕末のなかを歩んでいくのであった。

続く
管理人:PN.らくがきねこ

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