| 志免炭坑の象徴である縦坑櫓は、高さ52メートルにも及ぶ、機能美に徹した姿です。
最初に彼女(縦坑櫓、以下彼女)を訪れたのは1990年頃だったかと思います。
が、HP掲載のため、03年に再度、彼女を見たとき、存続が困難であることを感じました。当HPにも掲載しておりますクローズアップ写真でもご理解いただけるかと思いますが、痛みが激しく、セメントの剥離が進んでいるのです。
望遠レンズで表面を観察しましたところ、剥離したセメントから鉄筋が見えます。この鉄筋に錆びが生じているだけでなく、そのセメント剥離から、鉄筋に沿った剥離にも見えます。
また90年に訪れたときと03年に訪れたときの一番の違いは、窓がすべて無くなっておりますこと、また四角く大きな扉状の部分も無くなっていることです。
脱落か、それとも取り外したのかはわかりません。窓があった90年頃にも一部の窓は脱落しており、これは彼女の足元に転がっていました。風雨に耐えられず、落っこちたのでは、と想像します。ということは03年に見た時に全て無くなっているのは、全て脱落したか、脱落の危険があることから故意に撤去したと考えられます。
さらに周辺の施設が撤去されていた事です。いずれも背が低く、頑丈なものばかりで、倒壊の危険などあり得ないものばかりです。地元の意志は、土地の有効活用だと感じます。その為、撤去された施設の後には、新しい公共施設が建設されています。彼女が残っているのは保存の為ではなく、あまりに大きすぎて撤去もままならないだけではないのでしょうか。
私は彼女の存続、特に近代遺跡としての保存を望む一人です。
しかし、彼女の優美な姿を見ることが出来るのは、あとわずかではないかと考えます。彼女は、他の国内の縦坑櫓では例のない形状と巨大さから、多くの人を惹き付けていると感じます。特にセメントで構成された縦坑櫓が現存している例は、少なくとも私は他に知りません。その一千トン(※1)にも達すると言われる彼女の優雅な巨体は、そのまま保存の困難さにも繋がっているように感じます。
私が廃墟・近代遺跡を訪れるにあたり、最も重用としているのは安全です。誰にも迷惑をかけない為にも、まず安全であることが最も大切です。
彼女のあらゆる所が崩壊し始めている現在、保存し続けたとしても周囲に安全が確保されるとは限りません。
仮に文化遺産として保存したとしても、公費をかけての保存となれば当然、市民への公開が伴います(まさか秘匿するわけにはいきませんよね)。そうなると、訪れた市民の安全の責任は誰がとるのか、という問題が生じます。
クローズアップ写真をご覧になっていただければ判りますが、彼女の体中からセメントが剥離していることが判ります。特に壁、柱の下面では鉄筋が露出するほどになっています。
市民に公開した際、剥離した破片が降り注ぐ事を念頭におく必要があります。
そして、鉄骨に錆びが及んでいることが外観でも明らかとなっております。ご存じの通り、錆は内部にまでどんどん浸透し、セメントを剥離し続けるのです(※2)。
加えて、クローズアップ写真から見て、どうも彼女は安普請ではないのかとも疑われます。
構造でも申しましたが、まず下から上部の巻き上げ機を収めたビルのように壁のある部分まで、大きな柱が並んでいます。そして窓や開口部からじっくり観察しますと、その柱は壁のある部分の上の方まで貫いて通っている事が判ります。
さらに、壁の凹凸やセメントの型の後と思われる水平の跡をたどってみますと、まず柱を作ってから、そのあとで柱の間を壁で埋めていったのでは、と想像されます。
特に、鉄筋が剥き出しになった部分をたどっても、柱の部分だけで、柱と柱の間の壁に鉄筋は見えません。壁のセメント剥離部分にも鉄筋は見当たりません。それどころか、一箇所ですが窓の下部分の壁が割れており、ここに鉄筋が見えないのです。
建築の際に壁を構成する部分の鉄筋を省略したのではないかと考えています。
また、ここで働いていた人のお話として、セメントで構成された階段が割れたり、ひびがあったとの事でした。つまり現役当時から痛み始めていたともいえます。
こうしてみますと今後とも彼女が無事に形態を維持し続けられるか、不安です。
縦坑櫓が保存された例はあります。かつて山口県宇部市の宇部炭坑が斜陽になったとき、宇部興産は石炭からセメントに軸を置き換え大きく成長しました。
宇部興産は、宇部炭坑の歴史遺産として縦坑櫓の一つを移動せずに保存、さらに今ひとつを宇部市立常磐公園へ展望台兼石炭記念館として移設しました。訪れてみますと、いずれも長く保存出来る状態であることが判ります。そこに宇部興産の自社の歴史を市民と共有するという強い意志が見て取れます。
では志免ではどうでしょう。
宇部を引き合いに出したのは、比較をして志免は悪いなどといいたいわけではありません。その逆に、宇部ほど恵まれて居ないと保存は難しいといいたいのです。
彼女の会社は残っていません。スポンサーを企業に求めるのは困難です。となると地元でしょうか。しかし経済効果があるとは思えない縦坑櫓の保存の負担を地元に強いて良いものか大いに疑問です。また、もしも仮にスポンサーがあって多額の資金が有ったとして、彼女の巨体では移設や展望台に改築といった第二の人生も難しそうです。また展望台にしたとしても、彼女が現役で稼働している時から周囲には事故による犠牲が出ていました。開口部、特に下向きに複数空いている開口部からの転落です。業務の安全を理解しているはずの作業員でさえ、安全ではなかったのです(※3)。宇部石炭記念館の縦坑櫓の様に市民の使える展望台とするには、相当な改造が必要です。
加えて宇部の例は鉄筋です。志免の彼女の様な時間の経過で自ら剥離・崩壊するセメント製では無いのです。セメント製であるという彼女の最大の特徴は、放置された期間の長い今日、今後の保存が無理であることの要因となってしまったと言えます。
彼女のような巨大な近代遺跡を保存した例があれば、とは思ったのですが、ちょっと見つける事が出来ませんでした。
さて否定的な事ばかり書いてしまいましたが、彼女の存続を望む声は多いかと思います。私もその一人です。では、仮に私と同じく彼女の存在を望む人が、彼女から受けるノスタルジーを守る権利があるのだと主張したとします。その権利は、他の市民の生命を脅かすほどの価値はあるのでしょうか。確かに彼女の存在に魅力を感じる人は多くあるものと感じます。彼女の直ぐ横で建設が進む公共施設の工事現場の方も「取り壊しのウワサからか、最近撮影者が増えた。」とのお話がありました。
来訪された多くの方々は、きっと損壊の進む彼女に何の手当も成されていない事もご理解いただけたのではないかと思います。まことに残念で、本当に存続の方法はないものかとは思うのですが、既に手遅れであると考えます。
私は彼女を救う事はできません。せめてHPを通じて彼女の姿を残し、広く紹介できたら、と思います。
※1:
彼女の総重量に関する資料は、今のところ見つけていません。恐らく本格的に調べればすぐに判るとは思うのですが、ここではここで働いていたという方からのヒアリングで得た重量で書いています。
その巨大な数値は、地下深くから石炭を次々に引き出す彼女への畏敬がこめられているのだとも考えられます。ちなみに彼女は地面の下の巨大なセメントの固まりを足場として建っているそうですから、実際は一千トンを超えるかもしれませんね。
※2錆び:
鉄筋腐食が疑われる場合の外観上の特徴としては鉄筋に沿うひび割れが認められることです。さらに鉄筋腐食がかなり進行した段階では,ひび割れから錆の色の付いた水分(いわゆる錆汁)が浸出することがあります。
当HPで紹介しておりますクロースアップ写真から、窓枠のみならず剥き出しになった鉄骨にその錆汁が確認されます。
錆は、一旦発生しますと奥へ奥へと進んでいきます。錆び、というより腐食と言う方が一般的には馴染みやすいかも知れません。
鉄の錆は酸素との結びつきによって生じるものです。しかし、例えばセメントで覆われていて空気に直接触れていない鉄筋にも錆は広がります。
ご存じのように、鉄は電気を流します。それは金属ならではの自由電子を持っているからです。ところで、錆が生じますと錆が及んでいない健全な部分との間に電位差が生じます(イオン化に伴う)。この電位差によって電流が流れ(腐食電流)腐食反応が進み、空気とは直接触れていない部分であっても錆びとなるのです。
そして、この腐食反応で赤錆(Fe(OOH):Feは鉄、Oは酸素、Hは水素)や黒錆(Fe3O4)が形成され、鉄筋の表面に錆の層を形成していきます。これがセメントの鉄骨からの剥離を引き起こすのです。
※3:
お話を伺った労災の中には、塔から縦坑にまで落ちてしまった被災例もあるそうです。深さ410メートルにもおよぶ縦抗を、壁に激突しながら落下した被災者の体は四散し、遺体は回収できなかったそうです。
私は全ての炭坑跡地を訪れて撮影する際、まず縦坑櫓を慰霊塔に見立て、手を合わせてお祈りをしております。炭坑にはきまって労働災害の被災者が居るからです。
彼女の写真も命を落とされた方々のご冥福を祈ってからの撮影としました。
皆様も、訪れる際にはお祈りを、とまでは申しませんが、犠牲者へ哀悼を捧げられますことをお願いする次第です。 |
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