| 馬車
「タイジン ナアールチユイ (お客さん、どちらへ行くんです) 」
→大人那兒去
「何んでもいいからクワイクワイデー(早く早く)やつてくれ」
→クワイクワイデー:快快地
馬車をノンビリ利用している様子です。
ところで、この馬車ですが、当時の標準的な形状だったのでしょうか。これ以外にも当時の満州を描いた絵に、良く似た馬車が登場します。 |
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| 洋車
「タイジン ナダールチュイ(お客さん何処まで行くんですか。」
→「タイジン ナアールチュイ」の誤りだと思われる:大人那兒去
「クワイクワイデー(早く早く)走ってくれ 後に負けるなよ」
→クワイクワイデー:快快地
「愉快愉快」
「前を追い越せばリイヤンモーチヱン(二十銭)奮発するぞ」
→リイヤンモーチヱン:兩毛錢
「あまり気張るなよチアーオ(足)が痛いよ」
→チアーオ:脚
いわゆる人力車で、兵士らはリラックスしてか、大いにはしゃいでいる様です。
風俗風習に屋外で食事をする車夫の写真があります。当時は広くアジア全体に普及していた様です。 |
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| 「二デー(お前)のはもう修理したのか」
→二デー:▲的
▲の字はJIS外。にんべん+尓。ただし「あなた」の中国語はこの字一文字であり「▲的」ではない。
「名誉の負傷だ ウ−チヱヌ(五銭)にまけとけ ハハ……」
→ウ−チヱヌ:五錢
「トントンデー シイヱシイヱ(解りました 有難度う)」
→通通的 謝謝
ただし「通通的」では意味が通じない。
「オデー(自分)のはもうお先にワンラー(完了)だよ。」
→オデー:我的
ただし「わたし」の中国語は「我」であって「我的」は「わたしの」。
なので「オデーの」だと「わたしのの」となる。
→ワンラー: 完了 |
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| 「ニッポン 兵隊サン 人情アル 支那兵隊 プーホープーホー」
→プーホープーホー:不好不好
「ソラ… トテモオイシイドロップス ヤルゾ…」 |
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| 中食時
「ニーヂイヤリーゲイ シヤオシューイパ(お前の家で湯を沸かして呉れ)」
→▲家裏給焼水▽
▲と▽の字はJIS外。それぞれ、にんべん+尓、口+巴。
「メイユチヤイホオツアヌモシヤオニ(焚物が無くて沸かせません)」
→没有柴火怎麼焼◎。 ◎の字はJIS外。口+尼
中食(ちゅうじき )は、一日二食の頃、朝食と夕食との間にとった軽い食事を指します。現在の昼食にあたります。
アウトドアをされます方は実感が有るかと思いますが、屋外での活動において食事や休憩時の暖かいお茶、せめてお湯でもあれば、なかなか心安らぐものです。特に絵からみても寒そうですので、暖かい飲み物でも、という気持ちもあるかと思います。しかし、いちいち火をおこさなければならないお湯の確保は苦労したのではないかと想像されます。そこで協力のお願いを、と言う事になるのでしょうが、どうやらこの兵士は断られている様です。 |
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| 「ニデー(お前) どこへ行くんだ…」
→ニデー:▲的
▲の字はJIS外。にんべん+尓
「オデー(自分)活動でも(観る)カンカンしようと思ふ」
→オデー:我的
→カンカン:看看
「シンクシンク(御苦労御苦労)なア 」
→シンクシンク:辛苦辛苦
「よしッ!!」 |
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| 「ニーホイ ホイヂウマ(お前酒飲まないか)」
→☆會喝酒☆
☆の字はJIS外。口+馬
「俺はプーホイ(飲まない)」
→プーホイ:不會
「点呼後俺の班へライライ(来いよ)なア」
→ライライ:來來
「ああオデーチュイ(俺行くよ)」
→オデーチュイ:我的去 |
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| 「おい当番 事務室へチーヤースイ、サンゴー シンジヨ(お茶三つ持つて来てくれ)なア」
→チーヤースイ、サンゴー シンジヨ:茶水三個請著
ただし請著では意味が通じない。
「ミンバイ…(解つた)」
→明白 |
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| 「おいッ クワイツオウ ユイベイツオウ (早く出発の用意しろ)」
→快做 予備做
「(自分)オデーはもう(完了)ワンラーだよ
→オデー:我的
→ワンラー:完了 |
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| 「シーチオー クワイヤオダオラ」
→汽車 快要到了
ただし「汽車」は中国語では「自動車」を指す
「何んの事だい その満州語は」
「列車がもうすぐ付く事だよ」 |
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| 「ニーライ イーホイパ」(一度遊びに来給え)」
→▲來一回▽
▲の字はにんべん+尓、▽の字は口へん+巴
「シイヱシイヱ(有難う)」
→謝謝 |
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| 「ニデー イヱンヂユワール シンヂヨ(お前に煙草 やらう)」
→▲的烟卷兒請著(▲の字はJIS外。にんべん+尓)
「タアータアー テーヨー シイヱシイヱ(どうも何共何共 有難う)」
→大大的有 謝謝
ただし大大的有では意味が通じず、詳細不明 |
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| 今回の軍隊漫画絵葉書シリーズは、兵士が現地の言葉を使っている様子を集めてみました。
さて複数の絵師にて、こうした現地の言葉を使う姿が登場しています。
今回紹介しますものには「日満親善」というタイトルのあるものもありますことから、満州が舞台であることがわかるものもあります。
ところで、カタカナで表記してあります現地の言葉は何語になるのかにつきまして考察を行いました。まず舞台が満州ですので、「満州語」と考えられます。また、それは「輸送列車」の「何んの事だいその満州語は」というセリフもありますことから、描いた絵師も満州語のつもりで書いていると思われます。
しかしながら、このカタカナで書かれている言葉はすべて漢語(いわゆる支那語、中国語)のようです。前述の該当の言葉も、中国語を充てております。また、いずれの絵葉書も満州を描いた物ではありますが、どうやら本当の満州語はこのはがきの中には含まれていません。
もちろん当時から満州・東北部では満州人も漢民族も暮らしており、満州語も漢語も使われていたはずですから、漢語を満州で使われている公用語、と考えたのかもしれません。
しかし満州語ですが、満州国のあった当時から既に公用語としては使われていなかった様で、満州国の役人や議員にも満州語が使えない人が多く居たという話も聞いた事があります。
この満州語は、今日でもやはり使われておらず、廃れてしまっています。
さて、当時の絵葉書や雑誌などでは、広く亜細亜各地の風俗風習や建物が紹介されていました。半島の色彩豊かな結婚式風景、現地の子供らの遊ぶ姿、町並み、彩色鮮やかな中国の建物など、様々なものが販売されていました。少数民族の紹介も多く、彩色を施した台湾の少数民族の絵葉書は民族衣装の鮮やかさが良く伝わるものでした。こうした亜細亜に多種多様の文化や風俗風習がある事は、当時から広く紹介されていたと理解されます。
さらに言葉に関してもその土地ごとにその土地の言葉があることは知られていたと考えます。参考となりますものとして「本音を申せば」小林信彦著(週刊文春3月30日号掲載)にて当時のアジアに対する言葉の考え方が記載されていました。
(引用)『先生「きみたちは、いまにシナへ行ってシナ人、シナの民衆と接触するでしょう。そのとき、絶対にやってはいけないことがある。彼らの面子をつぶすことだ。(中略)どんなに腹が立っても、これだけはやっちゃいけない。」(中略)将来ジャワに上陸するときのために、というので、インドネシア語会話の初歩を習ったりした。』(引用以上)
これからみましても、アジアには異文化があり、コミュニケーションの難しさがある、またこちらから相手方の言葉を学びコミュニケーションを行う事に重点が置かれていたと理解されます(こちらの言葉を喋らせるのではなく)。前述の物は当時の小学校の話しですが、兵士においては訓練の中の教科(教室で行う授業)で言葉を取得した様です。
今回紹介致します現地語の登場する絵葉書は、そうした現地の言葉を取得して使っている様子を絵にしたものと理解できます。また、現地の言葉の紹介や教材を兼ねていると紹介されています。今回、該当の言葉を判明したとおりに書き加えておりますが、そちらでもお分かりの通り、やや誤りがあります。 |
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