このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




饅頭を二十七たいらげたよ
                       軍隊漫画絵葉書


生活、の四番目に掲載いたしました酒保では、旺盛な食欲が描かれており、兵士らの若さを感じさせるものです。
さて、この酒保ですが、ここで描かれている様に軽食や生活必需品を売っており、自費で買うところです。海軍、陸軍共にあります。
この酒保につきまして、まず利用は許可が出た時間のみ。
また、今回紹介しましたものは、小野寺秋風氏のものですが、酒は登場していません。
他の絵師の絵葉書には、酒保にて徳利とさかずきで日本酒を酌み交わす絵もあるとのことでしたので、酒も飲める場所というのは一般にも知られていたのでしょう。
ただ、実際の酒保の運用ですが、いつでもお酒が飲めるというわけではありません。任務状況によっては飲酒の許可は出ず、また艦隊では出航任務中では飲めなかったとか。さらに新兵も酒の許可はなかなかおりなかったとかで、まず飲めないというのが実態の様です。

さて、ここで小野寺秋風氏の酒保の絵において、饅頭が重宝されて描かれている点に注目してみたいと思います
まず、絵葉書に描くにあたり、飲酒三昧ではやはり軍の印象が悪くなってしまうので、避けたと思われます。一方で饅頭であれば、女性や子供にも面白く映るものと思います。そして間食であることをわかりやすくした、漫画表現上の記号であるとも理解されます。
また小野寺秋風ですが、戦後には児童向け雑誌の漫画付録を手がけており、子供向け表現について長けているともいえます。そこで子供も見るであろう事を見越して饅頭を描き、また面白さを狙ってちょっと信じられないほどの個数を食べるという表現にしたともいえます。普通は二十七個を一度に食べると、胸焼けを通り越して消化不良になりそうですが、当時なら、結構笑えたのでしょうね。
また饅頭が選ばれている点、これは漫画表現上の演出だけでなく、かつて甘味は貴重であった事も挙げられます。

昭和の長い期間、連載を続けた4こま漫画サザエさんにも、おはぎに団子と甘味が登場するものは数多くあります。今回、紹介しました酒保が描かれましたのは戦前(昭和13年ごろ)ですので、甘味はさらに価値ある特別なものであったと思います。
食べ物の価値とありがたみで言えば、卵も今日と昔とでは価値とありがたみは違います
明治にもマツタケは秋の風物を食べるという価値あるものでしたが、料亭での料理にマツタケのかさの部分に卵の黄身を落として一緒に焼くというのがありました。今の感覚ですと高価なマツタケに、安い食材の代表である卵というのはぴんときません。が、明治時代ですと、どちらも貴重品だから、料亭での料理として通用するわけです。
また、卵の話の続きですが、戦後の石炭景気のときに、父親が炭鉱に勤める様になって快適な炭鉱住宅に住めただけでなく、卵焼きが食べられる生活になってうれしかったという話も聞いたことがあります(その他、卵に関する考察は、 こちらの その4もご参照ください)。

甘味料の代表である砂糖も、今日と過去とでは大いに感覚やありがたみの尺度が違っています。
まず、私の経験から。
私の祖父は、祖母がなくなった後に再婚をしました。この後添いの祖母は戦争で夫をなくした未亡人でした(つまり小野寺秋風の絵葉書に登場した饅頭二十七個の兵隊と同世代です)。
この祖父の家に母に連れられて出かけた折、祖母は私を歓迎して、当時珍しかったハウス栽培のイチゴを出してくれました。そして、一緒に小さな壺いっぱいの砂糖も準備してくれたのです。
ところが実は、私は砂糖を直接かけて食べるのが嫌いなたちでした。ドーナッツは砂糖をまぶしたものは食べず、菓子パンも練乳や砂糖をかけて焼いたものは食べませんでした。
そうしたことからも、私は祖母が準備した砂糖には目もくれず、イチゴに食いついたのです。そのときに食べた赤い鮮やかな色は、祖母の笑顔と共に今日も覚えており、立派なイチゴを選んで買ってきてくれたのだろうなと思います。で、砂糖を無視して食べている私に祖母と祖父は砂糖を勧めるのですが、母は「変った子なんだけど、」と前置きして私は砂糖に興味が無いことを告げ、祖父と祖母を驚かせました。この驚きは、戦後、物が豊かになってから生まれた世代の、砂糖に対する価値観の違いとも言えます。
その時の、祖母が準備してくれた壺からあふれるほど山盛りの砂糖はとても印象にあり、祖母の歓迎の気持ち、そのものだったのだなと思っています。

もうひとつ、知人の経験から。
私と同じくらいの年で、その方の祖母も、先の私の祖母と同じ年齢くらいです。
その方が成人してすぐ、久しぶりに田舎の祖母を訪問されたときのこと、成人のお祝いをかねて祖母は大歓迎をしたそうですが、そのときに出された牛肉料理(牛皿)が大変に甘く、さらに卵焼きも大変甘味の強いものだったそうです(「プリン以上に甘かった」のだとか)。
これは田舎料理とでもいうもので、お祭りやお祝いに、見栄をはる意味もかねて、日ごろ節約した貴重品を使う、砂糖なんかもどっと使うというものです。
その方は、これはきっと祖母の味覚がおかしくなったのだと思い、また残しては悪いと考え、そのままもりもり食べたのだそうです。私が砂糖の価値が世代で違う点を告げますと、食べづらいほどに甘かったあの料理は実はお祝いの意味を込めた祖母の愛情の甘味であったのか、と感慨深げでした。

さて、そうした世代的な甘味の感覚を元に、もう一度、饅頭二十七個の兵隊を思いますと、なるほど笑顔で山盛りの饅頭を描くというのも理解ができます。もちろん酒池肉林とまでは言いませんが、うれしくてたまらない酒保の醍醐味ということでしょう。

もう一点、気づきましたこととしまして、兵隊にたいする一般市民の思いにつきまして、述べてみます。
戦前には民間も大いに軍を支援していました。民間の自発的な募金で飛行機を購入、軍務として使う為に納入するという運動もありました。実際にいくつもの飛行機が手配されたようです。そうした軍への関心の高さとともに、兵役に就き、生きて故郷には帰れないかもしれない若人に、思いやりの気持ちも広く世間にあったものと考えます。
近所の航空隊基地に卵や野菜を差し入れに行った、外地へ送る慰問袋にキャラメルや子供たちが描いた絵や手紙を入れたという思いやり支援も広く行われていました。それは、父や兄を兵隊に取られた人だけでなく、広く一般に行われていたようです。
そうした背景を思いますと、この笑顔で甘味を思う存分食べている絵は、きっと銃後の人たちを和ませたのでは、と想像します。



→軍隊漫画絵葉書 そのほかへ戻る

→軍隊漫画絵葉書目次へ戻る

→歴史資料館 目次へ戻る

→みに・ミーの部屋に戻る




このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください