|  鹿児島市街地です。錦江湾の入り口へ向いて撮影されたもので、左側の画面外に櫻島があるものと思われます。 
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 |  古い歴史のあるデパートです。 
創業は江戸時代(宝暦元年・1751年)、最初は磐田屋という呉服屋さんだったそうです 
山形屋は大正6年(1917年)に設立。 
山形屋の特徴ある建物は周囲からもひときわ目立つ存在で、太平洋戦争前に海軍が錦江湾(鹿児島湾)をパールハーバーに見立てて訓練を行ったとき、海軍機はこの建物を目印に錦江湾へ向かったという話があります。 |  
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 |  山形屋は今日も同じ場所で営業をしています。 
外観はレトロで重厚なそのままですが、内部は最先端の流行で占められ、鹿児島九州南部のハイソサイアティな購買の象徴として存在しています。 |  
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 |  手前の三角屋根はアーケード街の屋根、後ろの塔が山形屋です。 
ライトアップされています。 |  
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 |  古く江戸時代からの市街地で、1779年に島津重豪が、天文や暦学の研究のために、「明時館」という天文観測所を作ったことによります。また明治30年頃にはいろいろな見世物小屋に加えて天文館定席という演芸場ができ、一帯を天文館通りと呼んだそうです。 
さらに1913(大正2)年に鹿児島座劇場、映画館のメリー館開業をきっかけに繁華街として発展した歴史があります。 |  
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 |  現在の天文館です。 
明るく近代的なアーケード街となっております。 |  
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 |  鹿児島市公会堂は今日も鹿児島市中央公民館として活用されています。 
ほぼ同じ角度から撮影をしてみました。 
先の写真と比較しますと、入り口の庇が大きくなっている様に見えます。 
先の写真では右側に櫻島と思われます影が見えますが、現在は建物があり櫻島までは見渡せません。 |  
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 |  別の角度から。 
細かな意匠が施されたレトロで重厚な雰囲気です。 |  
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 |  大正3(1914)年1月12日午前10時に櫻島は大噴火を起こしました。 
大量の溶岩が流れ出し、それまで島だった櫻島が大隅半島と陸続きになりました。櫻島には3メートルもの火山灰が積もったそうです。 
写真はその際の炊き出し風景です。左側の皆さんはおにぎりを結んでいる様に見えます。石で急作りのかまどが二つ見えます。左側はご飯でしょうか(上に載せてあるへらが平らですし)。右は汁物ではないかと勝手に想像しています。 
1923年(大正12)9月1日に発生した関東大震災よりも前の大災害のひとつですが、既に炊き出し体勢が整っていた様です。 |  
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 |  櫻島大噴火の際に埋没してしまった鳥居です。 
場所は
こちら、
黒神中学校校舎のすぐそばです。 |  
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