このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




戦争遺跡・国分航空基地施設跡

  
鹿児島の大隈半島薩摩半島の付け根にあります、霧島市(旧国分市)には大戦中に航空基地
がありました。施設跡はあまり残っていない様ですが、そのなかでかつての発電所跡を紹介い
たします。
分厚いセメントで出来ておりました。これは想像ですが、これの撤去は大変だったため、その
ままになっているのではないでしょうか。
場所は陸上自衛隊国分駐屯地の近くです。


全景
南北に長く四角いセメントの塊です。写真は東側から見ています。
横は四角い壁、上はなだらかなカーブの屋根。一見しても、何なのか、さっぱり分かりません。

南東側から見てみます。南側には入り口が合ったようですが閉鎖されています。ご覧の通り、一部が破壊されています。もうひとつ入り口があり、東側(右側)の端のでこぼこした部分がそれです。

接近してみてみます。破壊された断面から、分厚いコンクリートで更生されていることが分かります。これは戦時中の攻撃ではなく、戦後の撤去作業とのことで、なるほど弾丸や爆弾が当たったようには見えませんでした。
さて断面ですが、鉄筋が見当たりません。また大きな砂利が混ぜてあり、またその砂利も不ぞろいです。この断面は、先月ご紹介いたしました笠之原航空基地跡の掩体壕と似た印象を持ちます。 
画面の外、左下に入り口があります。

断面のクローズアップです。
丸い石が沢山混ぜられたセメントであることが分かります。

先ほどの写真の下に閉鎖された入り口があります。クローズアップしてみて見ます。
鉄筋が、左側の上(枯葉の上)あたりにかろうじて配置されています。入り口だけ鉄筋入りで別に枠を造ってセメントを流しているようにみえます。

反対側を見てみます(北側)
こちらは平らです。全体はカマボコの形をしているのが分かります。

やや高い位置から見下ろしてみます。現在、上から見て真四角の形しか残っていませんが、こちら側にも何らかのでっぱりがあったのではないか(もうひとつ部屋があった)のではないでしょうか。ちなみに右下に閉鎖された入り口があります。また屋根の上野左奥に突起がありますが、煙突のあとではないかと想像しました。

では、東に向いている入り口をみてみます。ほぼふさがれています。また幅は狭く、大人がすれ違えない程度です。上の部分は何か突起や屋根があり、それを破壊したのかもしれません。

さらに回り込んでみました(西側)
隣の民家と大きさを比べてください。また屋根に突起があり煙突ではと思われます。

内部
では東側の入り口から中を見てみます。入り口はふさがれていましたが、隙間から手を突っ込んでカメラを差込み、撮影してみました。なので、ピンとはボケております。
ちなみに分厚いコンクリートの壁のため、腕を突っ込んでも部屋まで届きませんでした。またかろうじて、この部分しか見えませんでした。

手を差し入れての撮影の続き、天井部分をみてみました。全体が右に傾いて斜めになってしまいましたが、左上に天井のカマボコ状のカーブが見えます。また、板のセメント枠の跡もくっきりと観察できました。

内部
やや画角を広くして。
床は現在の地面より低くなっています。
これは当時から周囲より低かったのかどうか、までは分かりませんでした。周辺は住宅街で、宅地として整地する際に盛り土されているとも考えられます。
雨水などが入り込むことを考えますと地面よりあまり床を低くはしないのでは、と思っています。

自転車が不法投棄されています。これと比較しておよその大きさをご想像ください。ちなみに建物の大きさからすると内部は狭い印象があります。

場所
今回の場所は こちら。 霧島市(旧国分市)の国分駐屯地近くです。地図の中央、赤十時です。ちなみに、赤十字の下、19と数字の有る建物の影はスーパーマーケットですので、道しるべにしてください。
始めての方は、南側にあります国道10号からおいでになると分かりやすいと思います。



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