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  名島飛行場
                                                   



名島飛行場を紹介いたします。
福岡市東区の名島に、かつてありました空港、名島飛行場を紹介いたします。
航空路線が本格的に国際化を図る際の国際玄関として期待された飛行場でもあります。また運用は水上機のみという、一般に知られる空港とは異なる特徴がありました。その水上機運用のために大きなクレーンが二基設置されていました。
また、大きな格納庫が2棟建てられており、飛行場の敷地を、かなり占めていました。

空港の歴史を紹介致します。
昭和3年8月着工、
昭和4年8月に大阪−福岡間の水上機運用を開始、
昭和5年にはさらに海を越えて朝鮮半島、中国は上海への航路も開かれました。
昭和6年(1931年)9月17日には、チャ−ルズ・リンドバ−グ(大西洋無着陸横断を最初に成功させたパイロット)が婦人をと共に水上機「シリウス号」で訪問。
以上から、日々国際的な玄関として発展していたことがわかります。また昭和5〜6年と思われますが、沖縄経由で台湾方面へも飛行艇を用いた試験飛行がされ、アジアへ向けた国際玄関として機能していたといえます。

しかし名島飛行場は、長くは使用されず、昭和9年に定期便の運用は終わってしまいます。
これは同じ博多湾に隣接する雁ノ巣に滑走路を持つ飛行場が出来、こちらに航空便が移動してしまったことが挙げられます。
尚、雁ノ巣飛行場は福岡第一飛行場と呼ばれ、名島水上飛行場は、従来の福岡飛行場という名称から福岡第二飛行場と改名したとする資料もあり、一応は飛行場として機能していた様です。
が、雁ノ巣自身も滑走路に加え、名島の様なクレーンこそありませんが、水上飛行機を海から引き上げる為のスロープを持っており、水上機の運用が行われました。さらに名島を特徴付けた大きな格納庫2棟は、いずれも雁ノ巣に移設されました(一度解体し、雁ノ巣にて再組立て)。よって雁ノ巣の運用が始まりました後は、名島飛行場は縮小してしまったものと推測します。

名島空港
では当時の飛行場を訪問してみましょう。
当時の写真から。これは西から見ています。左側に博多湾が広がります。
海岸に四角い埋立地と岸壁を作り、飛行場が形成されています。
飛行場には、クレーンが2基、設置されています。着水した水上機を抱え上げ、また離水する水上機を海面へ下ろすためのものです。
岸壁の左端に十トンクレーンが2基、右側には航空管制等や無線用アンテナが見えます。
これが撮影された時点では、未だ飛行機格納庫は建てられていません。格納庫は運用を開始しながら建築されたのか、とも想像します。
また水上機専用ですので、滑走路はありません。

名島空港クレーンクローズアップ
クローズアップしてみます。
クレーンの直ぐ横に電柱と思われるものが立っています。クレーンは電動なのでは、と考えました。が、後の写真ではこの電柱と思われるものは見当たらず、電柱は撤去され田物と思われます。そうなりますと、電線などは埋設られたか、とも想像しています。
さて博多湾ですが、潮が引いており、岸壁の大きさがわかります。建物などと比較してみましても、岸壁は高く作られている様に見えます。ただ、満ち潮の時でないと、飛行機が接岸できない様にみえるのですが、如何でしょうか。

名島空港 格納庫とクレーン
今度は東側から。
海は満ち潮です。波は穏やかです。
また大きな飛行機格納庫が2棟見えます。大きさは、先ほどの管制塔が隠れて見えなくなるほどです。見晴らしが悪くても構わなかったのでしょうか。
この格納庫は、後に雁ノ巣飛行場へ移設されます。

名島空港格納庫
クローズアップしてみます。
吹流しが見えます。
また、格納庫には『日本航空輸送福岡支所』とロゴがあります。
天井にも何か書いてある様で、『フ』ではないでしょうか。またフクオカのフかも、と想像しております。

では、いよいよ飛行機の運用を写した写真です。
クレーンの巨大さがよくわかるショットです。大きな水上機、川崎ドルニエ「ワール」飛行艇(Kawasaki Dornier "WAL")が軽々と持ち上がっている様子がわかります。
クレーンは固定式です。
右遠くには山が見えます。

画面左側(西側)のクレーンをクローズアップしてみます。
02号とあります。また字が潰れていますが「十●」とありますことと、クレーンが十トンクレーンであることから、「十屯」
と書かれているのかと思います。

別の位置、写真中央より右より、少年が駆け寄っています。
飛行機が待機するエプロンに、こうして人がうろうろしているというのは、今日では考え難い光景です。
また足元にカーブを描く筋が見えます。これは推定ですが、トロッコ軌道と思われます。格納庫へ繋がっているものと考えました。

同じく、運用中の名島飛行場で、手彩色と思われます色がついております。
右は先ほどの川崎ドルニエ「ワール」飛行艇(Kawasaki Dornier "WAL")そして左奥が中島フォッカー・スーパーユニバーサル旅客機(Nakajima Fokker Super-Universal Passenger-plane)です。
この当時、この二種が水上航空路線の主役だったようです。
左沖には、小さな島が見えます。これは妙見島です。島には大きな木が見えます。

名島飛行場を発進する川崎ドルニエ「ワール」飛行艇(Kawasaki Dornier "WAL")(頂き物)
海面に降ろされ、いよいよ発進する飛行艇です。岸壁のそばで親子が見送っています。
波は静かです。右向こうには山が、そして左向こう側は雁ノ巣ですが、霞んで写っていません。

名島空港空撮(頂き物)
では今度は空から見てみます(頂き物)。
報国59号 福岡県教員号を写したものです。昭和9年に献納された水上機で、記念式典も名島飛行場でおこなわれたそうです。
ちなみに、戦前の雑誌に掲載されていたものとの事ですが、同じ写真は絵葉書にもなっており、この献納機を写した数少ない写真の一つか、とも考えます。
ただ左下に名島全景が丁度写っているなど構図としては出来すぎで、合成かな、とも想像しております。

引き続き、名島の航空写真で、前の写真と同じく南側から見ています。
名島にあった4本煙突の火力発電所が見えます。
空港から手前に道路が延びています。道路の右にはグランドがあり、学校か何かがあるものと思われます。その右側は、入り江になっているのではないかと思われます(今日、埋め立てられて、宅地になっており、またその宅地の道路がこの入り江の形になっています)。
また沖の小さな島、妙見島ですが、これにも大きな木が見えます。さらに島の西(画面左)は護岸壁が作られているように見えます。

さきほどと同じ写真ですが、トリミングを変えましています。
空港の二つの格納庫、右手前格納庫の手前の管制塔、クレーン二つが見えます。格納庫は左側が大きい様です。
道路を中心に見てみます。
また名島飛行場へ繋がる道路が見えます。道路はくっきりと見え、整備された道路と考えます。この道路は飛行場の手前で緩やかなS字にカーブしています。周辺は民家がちらほら見えます。
この道路の南に、名島橋や鉄道があるのですが、写っていませんでした。

以上、名島飛行場が運航されていた当時の風景を紹介いたしました。
続きまして、飛行機がきれいに写っておりますので、それのクローズアップ。
そして現在の名島飛行場跡地を紹介してまいります。


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