このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




架空機 ロケット旅客機(昭和6年)

                        
ロケット機
飛行機を大きくしたい、沢山の貨物や乗客を乗せて、遠くまで少しでも早く行きたい。
こうした飛行機への期待をかなえるには、大きな出力のエンジンが必要ですが、しかしプロペラエンジンでは、限界があります。これにはプロペラで得られる推力に対し、エンジン自身が持つ重量が大きいことが上げられます。
旅客飛行がまだ黎明期であった昭和六年当時、このより大きな推進力を持つ飛行機として考えられたのがロケット機です。

昭和6年科学画報に紹介された未来の旅客機です。
夜間の空港から、巨大な旅客機が出発、ロケットエンジンの大きな炎が、巨大な機体を一気に空へ押し上げています。
また機体は双胴、つまり胴体が二つあります。
飛行場の足元には滑走路を照らす灯りが見えます。灯りの足元には人影と車輪が見えますので、移動式でしょうか。
この飛行機が考案された昭和6年当時、世界はどんな飛行機が飛んでいたか、は別途掲載いたしますが、この様な、いかにもクラシックな雰囲気の飛行機が、未だ最先端としてもてはやされた頃、この未来的な機体が考案されたのです。

巨人機翼中の客室内部
飛行機は翼の中にも客室を設けるほどの巨大さです。夜空を楽しむ乗客、ベッド兼ソファーでくつろぐ乗客が描かれています。ちょっと脚をかがめないと頭がつかえる高さしかないあたり、妙にリアルさを感じます。

太平洋横断飛行略乗船ハンブルク北米間を一日半にて飛行する巨大水上ロケット旅客機です。この機体はさらに大型化され、胴体は4つ並んでいます。

下から見上げた図です。胴体が4つ、さらにその外側にもフロートがあり、離着水のさらなる安定を図っています。

洋上発着場の夜景洋上飛行の中継場と不時着燃料補給修理工場救難施設とラヂオ局です。
太平洋、大西洋を横断するため、洋上基地が設置され、旅客機の受け入れと補給、そして発進を行っています。ラヂオ(ラジオ)局とは航空無線機による航空機運航の支援と管制を行うものと思われます。
基地はUの字を形成しており、その中に飛行艇であるロケット機が待機しています。波を抑えているのだと思われます。

マッハ10を生み出す発動機の図面です。
ロケット機というわりに内燃機関みたいなデザインですが、恐らく燃焼室を描いたものと思われます。

さてロケット機ですが、ごく一部の試験機や軍用機に用いられた以外は、実用化されませんでした。
確かに機関の重さに対し、大きな推力が得られます。しかし燃料が重い事が欠点でもあります。そして噴射している時間が短い事が挙げられます。その為か、今日、実用化されているロケットエンジンは宇宙ロケットなどの限定されたものでの使用で、ロケットエンジンを用いた飛行機は、無い状態です。

今日、大きな飛行機はジェットエンジンが用いられています。プロペラ推進と比べても、エンジンの重さに対し、大きな推進力が得られます。
先のロケットエンジン旅客機が描かれた昭和6年は勿論、日本では戦時中までジェットエンジンはあまり知られていませんでした。ただ、一般に販売されている航空朝日にも略図が登場しており、飛行機に関心がある人には知られていたものと思われます。

ジェットエンジンの歴史をおさらいしてみます。
最初、ジェットエンジンは、イギリス空軍メカニックのフランク・ホイットルにより、1930年特許が取得されました。しかし実用化には大変な時間がかかっています。
ジェットエンジンを搭載した飛行機が初飛行したのは1939年(昭和4年)ハインケルHe178です。(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/He178)
そして第二次大戦後期1944年にドイツがジェットエンジンを搭載した戦闘機を実用化させました(Me262)。
日本では終戦までに実用まであと一歩というところまで出来上がっていた様ですが、運用にまでは至らなかったようです。
画像は昭和20年の雑誌に紹介されたジェットエンジンで、今日知られるジェットエンジンの構造と似たものとなっております。ただ、ターボロケットという名称になっています。

今回、ご紹介しましたものは昭和6年のものです。勿論、ジェットエンジンは知られていませんでした。そのことから、ロケットエンジンで、という発想となったものと思われます。

では、次回には昭和十六年の架空機の紹介を致します。



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