このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




吉原

                        
大門(おうもん)
落語等でおなじみの吉原を紹介いたします。
まず大門です。後ろにちょうちんをずらりと並べた店が見えます。
また門のアーチの左には柳の木が見えます。もしかして見返り柳でしょうか。大門には番所があり、番をする人が詰めていたそうですが、写真には写っていないようです。
吉原歓楽街への正面玄関で、出入はこの大門一箇所のみとされました。
江戸時代には木造のアーチ型楼門でしたが、明治期にこちらの豪華なアーチとなりました。
このアーチは鉄製です。実は明治44年(1911年)に、一帯を焼く大火災が発生、その熱でこのアーチがぐにゃりと曲がってしまった写真が絵葉書になっています。鉄製はアーチ部分だけの様でした。その後の大門は大きな柱の上に大きな電灯を乗せたものになったそうです。

ちなみに、その大火はよほど世間の耳目を集めたのでしょうか、吉原大火シリーズの絵葉書がいくつもあります
その中には、燃え上がる建物と、それを直ぐ傍で見物している野次馬を写した物、さらに遊女の遺体が写っている絵葉書もありました。遺体を絵葉書に、というのは今日の感覚ではちょっと考えにくいものでもあります(流石に購入していません)。

新吉原 件の町通り
吉原の大門をくぐった通りです。
真ん中を桜並木が通っている道の両側に店が並んでいるのですが、ここでは片方の列の店のみ見えます。右側にも左側と同じお店の列がありますが、ちょっと写っていません。
ずらりとちょうちんがぶら下がっています。夜になると、さぞ明るくなるものと思われます。二階は、ガラス窓がはいっています。
皆、カメラが珍しいのか、こちらを見ています。

新吉原 花魁道中 角海老棲紫
今回掲載しておりますのは、新吉原と呼ばれた浅草のものです(ちなみに日本橋にありました方は元吉原)。
さて、花魁道中(おいらんどうちゅう)を撮影したもので、沢山の見物人と、交通整理をしていると思われる警官風の人物が見えます。また、花魁名物は名物の高下駄を履いています。美人に見えますが、皆の視線は高下駄に注目しているみたいです。左奥、遠くにも見物人が居ます。

花魁
花魁の絢爛豪華な衣装、そして高下駄です。
吉原というのが、今日のような歓楽街ではなく、独自の文化を育んだことが伺えます。
花魁の地位になりますと、振袖新造(ふりそで-しんぞう)や禿(かむろ)とよばれる子供を従えます。
両側に居るのがそれに当たるものと思われます。また振袖新造は、およそ12歳くらいから勤めるという資料もあります。写真を見ましても、そのくらいの歳にも見えます。



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