このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




架空機 大型旅客機(昭和16年)

                        
昭和16年仮想大型旅客機
先ほど紹介いたしましたロケット機から10年たっていますが、やはり大きな飛行機が憧れとともに考察されています。また、想定されているのが飛行艇という点では一緒です。
この図面は全幅50メートルもあります。デザインはまず主翼が非常に大きく作ってあり、また胴体は双胴となっています。
あとエンジンは描かれていませんし、キャプションにも推進については触れられていません。どうも、そこまで考察がたどり着かなかったのでしょうか?
なんだか、生物的なデザインです。

もうひとつ、こちらは断面図です。
これは先ほどのものとは別の機体ですが、どうやら翼の配置(主翼)は同じの様です。

機体は三階建てで、贅沢な間取りに見えます。
これも推進装置は描かれていませんが、プロペラ推進について検討した記述があります(ロケットエンジンは諦めたのでしょうか)。

もうひとつ、これも断面図だけですが、未来の大型旅客機の想像図です。スマートな機体と、豪華客船を思わせる部屋割りです。
これも飛行艇です。大型機は、やはり飛行艇がより現実的と考えられていたのでしょう。

客室です。
船旅をイメージしたものでしょう。
今日の旅客機のようなぎっしりとした椅子ではなく、ゆったりとしたサルーンが提案されています。
贅沢な旅行が出来そうです。

さて、これらの大きな機体により、海洋を越えて遠くまで移動する事が出来そうです。この長距離の空の旅を如何に快適に過ごすかについても考察がなされています。
特に食事とトイレに一章をさいていました。
まず厨房について、
『調理設備としては重量増加を考慮、大型魔法瓶携行が適当で、機上では配膳をするのが調理と考えるべきである。無論、夏季においては冷蔵庫を装備するのは友好と考えられる』
流石に、調理をおこなうキッチンを機内へ持ち込むのは難しいと考えられていた様です。
続いてトイレについて、
『陸上機では汲み取り式という形式を採らなければならないのだが、海洋上空であれば放出式で差し支えないのである。しかしその放出工の位置は風洞試験なりで充分に検討し空気の逆流することなき場所を選ばなければならぬ。次に便器の形式であるが、現在用いられている洋式は日本人の習性としては好ましくないので、是非これは低床和式となすことを考慮すべきだ。』
昔の鉄道列車のトイレは、車外へ放出していました(その為、鉄道鉄橋の下をくぐる際には注意が必要でした)。が、まさか旅客機でも検討されているとは意外でした。ただ、実用化において私が把握している範囲で、旅客機にて放出式を採用した例はありません(軍用機にはごく一部にある様です)。あと、洋式便器への抵抗感は、戦前からあったんですね。

さらなる将来
機体の大型化に加え、燃料や問題を解決する方法が示されています。

昭和17年航空雑誌には、さらに新しい推進装置が提案され、宇宙への快適な飛行も夢ではないと記事があります。
『若し将来、原子内在エネルギーなるものを思う様に駆使できる時代が来れば、容易快適なものとなろう。これには先づ以って原子内在エネルギーを制御し切らねばならぬが、今の人間の知恵では容易ならぬ大問題ではある。』
原子内在エネルギーとは恐らく原子力エネルギーのことと思われます。
これを乗り物に使えたら、という期待は戦前に既にあったといえます。そして原子力飛行機の設計は60年代まで真剣に考えられていたようです。
参考まで、連続TV特撮番組国際救助隊サンダーバードから、原子力機関により空を飛ぶ旅客機ファイヤーフラッシュ号です。原子力エンジンにより、無限の航続距離を誇ります。
ただ、こうした原子力機関の飛行機について、その原理はいくつかの特許もある一方で、実現できないものだったそうです。特許の中には「ウラニウムを超微粉末にして燃焼室で化石燃料と一緒に燃やす。」という趣旨のものもあるそうです。これについて詳細は確認できておりませんが、なんといいますか、石炭かなにかと間違えてるような気がします。

さらに昭和6年科学画報から。
『(西暦三千年の旅客機は)、飛行機の無線電波(ビーム)によって動力の供給をうけ、動揺も振動も感じないのみならず、全く無音。世界的ビーム網はいたるところにあり、飛行機は自己の欲するステーションからビームを受け、任意の高度と方向に自由に飛行する事が出来る。』
とあります。
戦前、電波によるエネルギー転送が考察されていたとは、思いもよりませんでした。

以上を振り返ってみて、飛行機をより大きく、少しでも速くという期待は、様々な科学技術開発の原動力となっていることが理解できます。
その流れは戦前、空を飛ぶ飛行機がまだ黎明期であった当時からすでにあったとも感じております。



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