このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




名島飛行場跡地訪問

                        
名島跡地訪問
名島飛行場の跡地を訪問してまいりましたので、紹介いたします。
が、その前に、まずは1956年の航空写真から紹介いたします。
1934年(昭和9年)に名島への定期便が終了してから21年が経過しています。
四角く名島空港の敷地が海に突き出していて、その左上に妙見島が見えます。
島の下と右に岸壁が伸び、これが後の埋め立ての岸壁となります。また、この岸壁で囲まれますエリアは、名島飛行場が建設される際に地元漁協から漁業権を買い上げましたエリアと重なります。まず埋め立ては、名島飛行場の運航で漁船の操業を取りやめましたエリアから始められたことが判ります。
さて名島飛行場の四角いトチですが、空港の四角い部分に2つあったクレーンは写っていない様です。既に撤去されているのかもしれません。

こちらは昭和49年の航空写真です。
名島飛行場及びその周辺は埋め立てられて陸地になっています。先の写真で、岸壁が見られたエリア(名島飛行場の運航で漁船の操業を取りやめましたエリア)にはアパート郡が立ち並んでいます。その上側にも埋立地が見えます。そこは後から埋め立てたエリアで、まだ建物は建っていません。
沖にあった妙見島が陸続きとなっています。当時の海岸跡が区画にかろうじて見出せます。

昭和49年当時の航空写真にかつての海岸線を書き加えて見ました。名島飛行場が海に突き出していた場所は、そのまま四角い区画になっています。その右下には、名島の空撮でも確認できましたS字に曲がっている道が、そのまま同じ形で残っています(画像の外です)。

さらに2005年の航空写真です。さらに沖まで埋め立てられています。
かつての妙見島にも建物が見えます。おそらく建物を使用されている方も、ここがかつて島であったことはご存じないのではないでしょうか。

さて、現地を訪問しました。
場所はこちら。周辺は、団地になっており、ポツンと設置された記念碑があるだけです。
かつての名島空港岸壁の、二基あったクレーンの間あたりに立てられています。
この記念碑のおかげで当時の場所を知ることができます。

現在の地図で位置を確認してみます。
赤十字印がその該当場所です。 場所はこちら
名島飛行場は水上機専用でもあったことから、海に面して作られていましたが、先にも書きましたとおり、埋め立てが進んでしまった事から、当時の名残は全くありません。
また先ほどの航空写真と比較いただいてお分かりかと思いますが、海岸線が区画に残っていることがわかります。
特に名島飛行場がかつて海に突き出していた四角いエリアは、今日も同じ位置に四角い区画があることが判ります。

ではもう一度、記念碑を。かつての岸壁から。左側が空港側、右側がかつての海です。

空港があった側から、かつて海だった側を見てみます。

周辺です。
先ほどの跡地から南には、S字に緩くカーブした道があります。
この道ですが、名島飛行場が現役だった当時の航空写真にも同じ形のS字の緩やかなカーブの道路が写っており、当時からある道路と考えます。道路の周辺に名島飛行場当時の名残は見出せませんが、道路はその形を当時のまま残している様です。
別途、名島飛行場の写真を掲載した際、少年と思われる人物が写っている事を指摘しました。きっとこの道を通って名島飛行場へ行ったのでしょう。また当時、バスも通っていたようです。もしかしたら、科学技術の最先端であった飛行機を見に行ける、とわくわくしながらここを通過したのかな、とも想像しています。
撮影場所は こちらです。

現在の道路や区画が当時をおおよそ反映しているとしまして、S字の道路の終点に立ってみることにしました。
別途初回しました当時の写真で青印をつけました位置に立ち、クレーンのがル右斜め上方向を見てみることにします。

先ほどの写真の青丸の位置と推定されます場所に立ち、北側(さきほどの航空写真で上側)を見ています。
この道路の左側に名島飛行場が、右側は海、また奥に見えるアパート郡も当時は海だった場所です。ご覧の通り、当時を偲ぶことは全くできません。撮影場所は こちらです。


以上、文字通り跡形もなく消えてしまったかつての飛行場跡を紹介いたしました。


名島橋
さて、福岡市の市街地の東にある名島ですが、昔から交通の要所なのか、戦前に立派な橋が建築、しかも今日も現役です。もし飛行場跡地を訪問されます機会がありましたら、こちらも一緒にご覧になりますことをお勧めします。
まずは名島橋を。国道3号線の橋です。
完成が昭和8年ですので、名島飛行場が現役の頃です。
片道3車線プラス充分な幅の歩道を持つ大きな橋で、今日の交通量にも対応できるものです。橋の大きさは、路面電車を通しても充分に車線が確保できます。まさか今日の様な交通量までは想定していなかったにせよ、先見の明があったともいえます。

何故ここまで立派な橋を作る必要があったか、というのは様々意見があるそうです。私は、市のシンボルとなるような立派な建造物が欲しかったのではないか、と想像しています。
例えば、新潟市に昭和4年に萬代橋が建造されました。当時の最先端の土木技術を投入した重厚なデザインです(この橋は今日も現役です/歩道付きの片道2車線で、名島橋よりは若干狭い)。 福岡市も、この立派な橋を参考にしたとも考えられます。
まるで滑走路の様な大きさで、離着陸にも使えそうなほどでもあります。ですので、名島飛行場も近いことですし、飛行場の一環として使えるという意見もあるそうです。しかし、やはり飛行機がわざわざ橋に向かって降りるのは不自然ではあります(航空母艦じゃないんですし、航空母艦の場合、船で運用すると言う必要に迫られているわけですから)。例えば通常の滑走路ですと横方向にオーバーランしても、事故とはいえ着地は出来ます。運が悪くてひっくり返るといったことはあるでしょうけれども。しかし、橋に降りますと、オーバーランは川に落っこちてしまいます。橋が、その作られた時代を考慮しても如何に大きいかという印象から、滑走路という言葉が出たものだと想像しています。

橋は鉄筋コンクリート製。長さ204m、幅24mです。

名島橋の欄干を別の角度から見てみます。
セメント製で、どっしりと重厚なデザインです。

先ほどの名島橋の上流の隣にはの貨物列車の橋(青く見えます)、そのさらに隣には大正12年にできた名島川橋梁があります。
これも現役の橋で、鉄道がと追っています。
ちなみに写真の右側(上流側)には鹿児島本線の橋があり、列車からこの橋を見ることも出来ます。

名島川橋梁をクローズアップします。
重厚優美なデザインです。
向こうに引込み線の鉄橋、そして名島橋が見えます。

以上、名島空港跡地周辺の、近代歴史遺産を紹介いたしました。




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