このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




  名島飛行場と水上機
                                                   



名島飛行場は水上飛行機※を運用する飛行場でしたので、今日、一般に知られる飛行場のような滑走路はありません。(※以下、水上機と記載します/ここでは飛行艇も水上機に含まれるものとして一緒にしております)。
この点、大きな特徴です。水上機ですので、発進、到着は水面で行われます。乗客は乗り降りするのに、わざわざ陸に上がりなおす手間が必要で、正直、面倒だともいえます。
これは、当時の飛行機のエンジンや飛行機自体の性能が低かったことが理由として挙げられます。特にエンジンの信頼性が低かったことが大きな要因といえます。

昭和6年の科学画報から、日本航空路を見てみます。
実線が陸上機の運用です。白丸○が目的地です。それに加えて黒丸●が路線に書き加えてあります。これは、通過点、そして不時着用の飛行場です。
飛行機の路線は、最初から不時着用に準備してある飛行場の上空を飛ぶ様に設定してあります。極端な言い方をすれば、飛行中の何時でも調子が悪くなってもいいように、降りるところをあらかじめ設定しておきますよ、という状態です。
一方で、水上機(白黒線)はまっすぐで、途中に不時着の黒丸はありません。これは、波の穏やかな瀬戸内海なら、何処へでも降りられるから、ともいえます。

もうひとつ、名島飛行場が運用されていた頃は、エンジンの信頼性に加え、エンジンの出力も高いものは得られず、その為、空へ飛び上がるまでには長く滑走する必要がありました。
特に大型機、長距離を飛ぶために燃料を満載すると飛行機はさらに重たくなってしまい、空へ飛び上がる為には、長い距離を滑走する必要があります。
そうした飛行機を運用するには、より長い滑走路を持つ空港が必要になります。ですが、水上機であれば、湾など波の静かな場所さえ確保出来れば、滑走路の確保という不利は解消します。

さらに水上機の場合、陸上機で必要になるタイヤとそれを支える支柱を省略する事が可能になります。結果、より機体を軽くする事が出来ます。
同様の理由で速度記録を目的にした高速機も水上機という形式を採用した例もあります。
アニメ映画「紅の豚」に登場する高速飛行機は、いずれも水上機でした。 写真は、映画「紅の豚」の主人公が乗る飛行機のモデルとなったマッキM.33です。胴体が船のような形で構成されているのがおわかりいただけると思います。

また、飛行機自体の設計だけでなく、飛び立つ際や空から降りる際の風向きに対しても水上機が有利といえます。
飛行機は、離陸も着陸も正面から風を受けている時がコントロールしやすく有利なのだそうです。逆に追い風(後ろから風を受ける)と、離陸や着陸がしにくくなってきます。
こうした風を上手く利用するには、普通の飛行機、つまり車輪を持って滑走路を走って離着陸する陸上機であれば、あらかじめ向きの違う複数の向きが違う滑走路を設けておけば良いと考えられます。複数ある滑走路のなかから、風の向きにより近い角度の滑走路を使って離陸や着陸をすればよいわけです。

さて、戦前の土木技術論文集、土木満州から、昭和16年土木満州に紹介された、ニューヨーク空港の滑走路配置です。
陸上機(水上機ではなく)の滑走路の考察がなされていました。そこでは様々な風の方向を考慮し、滑走路をあちこちの向きに向けることが提案されています。ここでは斜めから風を受けることを特に嫌って考察がなされており、また1930年代(昭和10頃)の海外の飛行場も向きの違う複数の滑走路が設けられた例が紹介されています。もっとも多い風の向きに合わせて滑走路を作っておき、日々その中から風に合わせて滑走路を選び、離着陸するわけです。

もうひとつ、同じく昭和16年の土木満州からリオデヂヤネイロ空港を。これも三本の滑走路が配置されています。

円形の滑走路です。何本も滑走路を作るくらいなら、いっそ円形に滑走路を設け、風向きに合わせて、都度、離着陸する角度を任意に選ぶわけです。ちなみに、これは構想図で、実際の飛行場の配置を示すものではありません。

では、今一度、名島空港が運用されていた昭和の初期、飛行機も旅客輸送も黎明期の場合はどうでしょう。
水上機を運用するのは、妥当だといえます。広い港さえあれば風向きに合わせて滑走して離水、あるいは着水すればよいわけで、滑走路よりも向きを自由に選ぶことが出来ます。
その点、名島空港のあった博多湾、そして夏季に水上機の増便運航があった別府湾は理想的です。


今日の飛行機、特にジェット機では、滑走路は一本です。もし斜めに風が吹いた滑走路へ着陸する場合では、尾翼で風をコントロール、風向きにあわせて機体を斜めにし、機首を風上に向けながら着陸します。皆様も、飛行機に乗られた際、天気の悪い日に限って、着陸時に設置と同時にドスンとゆれるのを経験されたことがあるかと思います。これは風の向きに合わせて傾けて着地した為でもあります。

こうした飛行機の操縦技術の向上を成し遂げた今日なら、広い土地を使って、向きを変えた滑走路を何本も作る必要はなくなっています。
しかし、名島飛行場が運用されていた当時、飛行機そのものが未発達でした。そこで水上機という運用の面倒な飛行機を採用してでも(例えば風向きの影響ひとつ取ってみても)有利だったわけです。
今日の飛行機では、エンジンの出力や信頼性の向上、さらに翼の機能(フラップなどの高揚力装置)などが発達しましたので、水上機である必要はなくなりました。また水上機は、旅客輸送の運用において経済的に不利だったという致命的な欠点もありました。よって飛行機の性能さえ向上すれば、水上機を無理に運用する必要は無いわけです。

今日、水上機の定期的な旅客運行は、世界をみても離島や観光目的以外では、まずありません。
名島空港の特徴である水上機専用、その為に滑走路が無く、さらに飛行機を吊り下げるクレーンがある、というのは、当時ならでは、ともいえます。


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