このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




  Junkers F-13(昭和6年)
                                                   



ベルリン郊外テンペルホフ航空港
プロペラが回っているようです。これから夜間飛行に飛び立つところでしょうか。
大きな鉄塔の上の照明が周囲を明るく照らしています。

空港での乗り込み風景
乗客が乗り込むところです。右端の男性は、高さから見てステップの上に乗っているものと思われます。また、階段にある突起を階段代わりに翼をよじ登って客室に入るところです。
胴体には手書きの黒板の様な板を挟んでいる様で、行き先の表示では、と思います。
機体ですが、波板で構成された胴体がよく判ります。
翼の上の太った男性は空港係員ではないかと想像しています。

客室です。後部座席から前を見ています。
客室内には前の二つの椅子、そして画面下側の長いすと二列配置されています。
椅子は豪華なデザインです。窓にはカーテンが取り付けられています。
右下にJunkersとありますが、ユンカース社の撮影でしょう。写真は超広角レンズで撮影されているようで、また後ろ側長いすの上にカメラを置いて撮影しているのがわかります。

『大阪を中心に四国及び別府地方へ航空輸送を行う日本航空輸送研究所のユンカース6人乗り。 下は別府定期便』
水上機型のJunkers F-13です。
また胴体下のフロートを固定する支柱が随分複雑に見えます。下には貨客船が見えます。また撮影は瀬戸内海でしょう、波は静かです。
キャプションには6人乗りとありました。乗客は、前の客室からもおわかりのとおり4名で、あとはパイロット2名で、合計6名ということでしょう。
また大阪と松山間を二時間で飛び、当時の運賃は十八円でした。この頃、首都圏でカツ丼はだいたい30銭ですので、カツ丼60杯分ということになりますね。

飛行機部分をクローズアップしました。

頂き物
乗客が乗り込むところです。胴体の波板がよく判ります。
またパイロットがパイロット席前側から身を乗り出しています。
実はJunkers F-13は、パイロット席真輪側のフロントガラスがありません。
ついたての様なガラスが立ててあり、風を避けています。丁度、自動車のオープンカーの様な配置でガラスのついたてがたててあるだけです。
ですので、雨でも降ろうものなら操縦手席は水浸しになったのでは、と想像できます。ただ、当時の飛行機の性能や飛行管制からみて、雨天など天候不順の時は飛んでいなかったかもしれません。そうなるとフロントにガラスがなくても、困らなかった、とも想像しています。勿論、スピードも、風防がなければ困るほどには出ていなかったからでしょう。
ちなみに客席の窓は全てガラスが入っています。特に客室と操縦室の間の壁には四角い窓が作ってありますが、ここにはガラスがはめてあり、気流が客席に流れてこないようにつくられています。

頂き物
不鮮明ですみません。
海面を驀進し、まさに離水しつつあるJunkers F-13です。
国内の撮影とのことで、もしかすると先に紹介しております日本航空輸送研究所と同じ所属では、と想像します。

頂き物
さらに不鮮明ですみません。ほとんど明るく飛んでしまっておりますが、翼は横にとても広く翼に厚みがありますのがわかりますので、紹介をしました。


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