このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




掩体壕


                        
笠之原飛行場跡 掩体壕
大戦末期、急作りで建てられた掩体壕とのことです。
鉄筋が使われていないのも特徴のひとつです。
場所はこちら。

笠之原掩体壕 横
角度を変えてみています。
屋根に穴が開いているのが判ります。これは戦後にくず鉄の需要があり、セメントから鉄筋を取ろうと破壊したものだそうです。が、前述の通り鉄筋は使われていません。屋根の穴を見てみたのですが、大きな石ころの混じったセメントでした。

笠之原掩体壕 後ろ
角度を変えてみてみます。
掩体壕の盛り土に草が生えると、充分なカモフラージュ効果が期待できます。

笠之原掩体壕 後
さらに角度を変えてみてみます。
周辺は、かつてはエプロンだったそうですが、現在はご覧の通りの畑です。

笠之原掩体壕 内部
内側です。
機体の尾翼部分がここに入ります。
セメント内側はでこぼこしています。
推測ですが、この掩体壕を作る際、掩体壕の形の土饅頭を作り、その上に直にセメントを直接流した様に見えます。
セメントは通常、なんらかの枠を作り、そこに流し込むなどして、セメント表面にその枠の跡が見られるものですが、この笠之原の掩体壕には、全く見られません。

笠之原掩体壕 内部クローズアップ
屋根から木の棒が飛び出しています。何かの機能を持っていた様には見えません。
想像ですが、掩体壕を作る際、セメントを流す前の土饅頭に、足場などで立てた棒では、と思います。

以上。旧笠之原飛行場の掩体壕です。
さて笠之原飛行場ですが、大正11年8月から昭和20年8月まで24年にわたり、陸軍海軍の飛行場基地として使用されました。
陸軍、海軍共に地元へそれぞれ毎年、二千円づつ、計四千円を使用料として支払っています。昭和3年にはさらに地元の要請で使用料増額がなされた様です。

昭和19年1月には海軍航空基地が設置。昭和20年1月には零式戦闘機
七十二機が配備され、特別攻撃機として南方へ出撃した。昭和20年3月18日には連合軍の集中爆撃があり、
格納庫をはじめとする基地施設は全滅しました。

こちらのはコンクリート製の入り口跡。 場所はこちらです 。撮影場所は、笠野原小学校を南下したところにあります。
またこの場所は、現在、自衛隊基地のある鹿屋の近くでもあります

さて、この入り口跡ですが、。機銃掃射により、壁にひあおおきなくぼみがいくつもあります。また、この近所には機銃掃射により穴のあいたセメントの塀も残っています(現在、民家の塀になっています)。

ちなみに戦後は地元地区に無償で払い下げられています。

参照:アジア歴史資料センター資料他。

宮崎空港脇 掩体壕
宮崎空港の滑走路の端、畑の中に掩体壕が残っています。
場所はこちら

角度を変えてみ待て見ます。
天井に盛られた土に草が生えており、充分なカモフラージュ効果があると考えます。

宮崎空港脇 掩体壕
角度を変えて見てみます。
飛行機の形に合わせて壁が作られています(垂直尾翼が通るところを凸字に開けてある)。

さらに角度を変えて。
飛行機は左側から、尾翼を右側にして入れられます。

写真左向こう側にオレンジ色の灯りが三つみえますのは、宮崎空港の誘導等です。
宮崎空港御利用の際は滑走路北東側にあります掩体壕をご覧ください。

後ろ側に回ってみました。

内部を覗いてみます。
天井や壁を見てみますと、丁寧に枠を作ってからセメントを流し込んだことが判ります。

天井をクローズアップ、金網状の鉄筋が入っています。

掩体壕その2
この掩体壕の付近には他にも掩体壕があり、そのひとつを紹介します。屋根に人がおり、掩体壕の大きさがお分かりいただけるかと思います。
ちなみに、この向こう側に宮崎空港があり、屋根の上の方は旅客機を撮影されていました。
この掩体壕は、右手前側に凸の部分、つまり尾翼を入れる部分の屋根が崩落しており、そこから木が生えています。


宮崎掩体壕 大型飛行機用

内側を覗いてみます。
低い屋根の部分がずり落ちているのがお分かりいただけるでしょうか。




先ほどの掩体壕から南へ3キロ、大型機(双発機)を収めた掩体壕が残っています。場所は こちら。
現在、藤田組という土木企業の資材倉庫となっています。

この掩体壕は斜面に作られています。斜面をのぼり、天井をみてみます。

内部は大きなつくりとなっていることがわかります。

隣接してもうひとつの掩体壕を見てみます。
同じ規模の掩体壕です。後ろの民家と比べますと大きさがお分かりいただけるかと思います。

隣接しまして、もうひとつ、掩体壕を見てみます。ちなみに、このほかにもいくつかの掩体壕があります。
内部に止めてある軽自動車から大きさがご理解いただけるかと思います。

天上の内側を見てみます。
セメントを流す際の木枠の跡、そして、網状の鉄筋が見えます。

しっかりした枠組みを組んでセメントを流したようです。
板が一枚、天井の隅に残っていました。またここは、角を直角ではなく、斜めにするために板を並べたようです。
これは想像ですが天井がずり落ちてこないよう、より強く支えるためのものではないでしょうか



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