| こちらの頁では、飛行機と飛行場を特集しました頁のトップに掲載しております写真、そして飛行機と女性に付きまして紹介いたします。
まず表紙に採用しました写真ですが、戦前の航空雑誌にありました写真から女性部分をトリミングしたものです。
元の写真はこちらです。掲載にあたって、手前の翼の部分をカットして女性をアップにしました。
女性は主翼の中央に立って、支柱からのワイヤーをメンテしている様です。
これは初級のグライダー(プライマリーグライダー)の主翼とその支柱です。主翼の上に支柱が飛び出しており、これが特徴ですので、プライマリーグライダーと判別できます。
機首は向かって左、支柱からはワイヤーがのびて、翼を支えているのがわかります。また、右手前は翼の舵です。
キャプションにも書きましたとおり、
『グライダーの翼を整備する東亜航空連盟武漢支部の女性会員(昭和16年)』
と説明があり、飛行機に関する訓練をする団体の中国での風景と思われます。
大正から昭和のはじめにかけて、飛行機の技術は飛躍的に発展、時代の花形でした。
そして時代の最先端には、必ず輝かしい女性が居る、そう感じまして、この度の飛行機特集頁のトップに、この写真を持ってきました。
この時代、女性のいわゆる社会進出は目覚しいものがあります。
昭和15年(1940年)に世田谷の玉川(二子玉川)にありました読売落下傘塔は、多くの落下傘訓練生を輩出しましたが、その1割が女性でした。
こちらの写真が撮影された中国でも、同じく、飛行機という最先端のものに女性が率先参加したものと思われます。 |
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| では、プライマリーグライダーをみてみます。
こちらの画像は、満州国の大学の教練(体育)で用いられたプライマリーグライダーです。
主翼の上に支柱が出ているのがお解かりいただけると思います。
先ほどの画像はこれを翼の上から見る角度での撮影です。主翼の上に三角形の支柱が飛び出しているのがお解かりいただけるかと思います。
グライダーはご覧の通り、動力もなく、ワイヤーで引っ張って空に浮き上がり、ワイヤーを外してあとは滑空するものです。ご覧の通り車輪も何も無い機体で、胴体ですべって離陸し、そして着陸するものです。
このプライマリーグライダーで訓練をつんだ後、さらに上級用のグライダーで訓練を行います。飛行機で引かれて空へあがり、そして滑空します。
この訓練を卒業しましたら、次はいよいよ発動機のついた練習機で空へ飛び立ちます。 |
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| では女性と空について触れてみます。
画像は昭和15年の雑誌から読売落下傘塔です。
本来は遊園地の遊具ですが、実技の訓練に使える本格的なものです。
こうした実際の降下経験をしたのは昭和17年には八万八千人、その内一万二千人は女性でした。
この塔は民間のものですが、兵士も兵役訓練に使いました。特に落下傘兵(飛行機から敵地に直接落下傘で下りて作戦展開する歩兵)、そして飛行機パイロットの脱出の為の落下傘訓練に利用されました。
つまり兵役で落下傘兵の訓練を受けるた人数が多く居るわけで、男性の人数は配属された部隊での訓練としての人数といえます。
一方で女性は前線の戦闘勤務が無いことを考えますと、この人数は自ら志願して落下傘訓練をうけたと想像されます。
画像は不鮮明で、真にすみません。
これは鉄の和にぶら下げられた落下傘で地上約50メートルまで引き上げられ、そして頂上からは落下傘で地上に降りる仕掛けになっていました。
この塔が有った場所の直ぐそば、現在は世田谷区の二子玉川緑地にはグライダーを備えた滑走路もありました。 |
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| トップ写真の紹介と合わせて、先端技術の飛行機と女性についても触れてみました。
さらに加えて、日本女性初の操縦士、西崎キクにつきまして、紹介いたいと思います。
詳しくは
こちらの頁に
画像つきでまとめられております。
埼玉県の上里町のホームページです。
今日の様な飛行技術の無い時代であることを考えると、西崎キクの業績が如何に偉大かが想像できます。
例えば今日の飛行機は、目的地の飛行場から発進される電波で方向を確認し、方角を定めて飛行します。しかし、紹介しておりますページの時代は、飛行機自身がもっているコンパスで方向を決め、地上を見、経過時間から自分の位置を推定して目的地へ向かいます。
飛行、そのものが既に冒険といえます。
その大冒険を牽引した女性の一人です。女性飛行機冒険家といえば、合衆国のアメリア・イヤハートが有名ですが、それに負けない空の先駆者です。
是非、ご覧ください。 |
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