このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




東京 猿島その1


                        
かつて日本のあちこちの海峡や湾を防衛するために大砲を据えた要塞が作られました。
その歴史は古く、日本が鎖国をしていた19世紀中ごろ、江戸幕府は異国船の江戸湾(東京湾)進入を防ぐため、全国初の台場、(大砲をすえる台)を猿島に設置しました。
今回ご紹介します猿島は、日本の要所要所にあった要塞の最初だったわけです。ちなみに江戸自体には湾内にもいくつかの台場がつくられ、いわゆるお台場もそのひとつです。
さて明治になり、東京湾の守りを固めるべく、猿島には同大と要塞の建設が始まりました。強豪ロシアのバルチック艦隊などが東京湾で発砲をすれば、首都圏は大混乱となりますので、国防の要であったといえます。
しかしながら、実戦で使われることなくそのまま放置されていました。
その後、第二次世界大戦において、再び防衛施設として建設が進みました。
昭和16年ごろから鉄筋コンクリート製台座が5つ作られ、高角砲がすえられました。これらが現存しています。
まず明治時代の砲台跡、続いて高角砲座跡の紹介を見学しましたので紹介してまいります。

猿島全景
まずは猿島全景です。
縦に細長い島です。
このページでは、この図の左下にある船着場からスタートして明治時代の要塞を主に見てまいります。その他砲台跡は昭和期のもので、これは次頁に掲載いたします。

まずは矢印の左下から上へ。
まず左下①が現在の船乗り場です。
グレーの部分が通路で、縦にこれが通っています。
②の部分に発電所があります。
③から④にかけて通路が、その上、④から⑤までの点線がトンネルです。
⑥にもうひとつ、トンネルがあります。

砲台跡として丸い円が描かれているのは昭和期の高角砲台です。

猿島全景
こちらが東京湾要塞のひとつ、猿島です。
横須賀にある記念艦三笠の傍から、フェリーで渡ることが出来ます。
三笠からみた猿島です。

猿島に上陸しました。フェリー桟橋から上陸、振り返りますと、島のすぐ前に横須賀の市街地が広がります。

フェリーから降りてまず、最初に目に入るのがこの発電所跡です。今日も中に発電装置が稼動しています。
(地図の②)

いよいよ要塞へ。
木々で覆われているためわかりませんが、こうした深く掘り下げた回廊が島を縦につらぬいており、うまく秘匿されています地図の③付近です。

明治時代に詰まれた、要塞の弾薬室です。この壁の上に大砲が据えられていた様ですが、今日ではこの弾薬室の中もこの上にも行くことができません。みっちりレンガが積み上げられています。

画面左に見えますのは見学者用のスロープで、最近に作られたものです。

先ほどの弾薬庫跡の壁の上の方にあった窓です。
この窓は高い位置にありますので、三脚を伸ばしてタイマー&フラッシュで撮影をしてみました。
わりと奥行きがあり、みっちりと煉瓦が組まれています。おくには空間があり、またそれは白く塗られていています。この色は灯りの効率を求めたものではないでしょうか。また奥に穴が見え何かが垂れた様に見えます。雨を流すものでしょうか。

煉瓦クローズアップ。
明治時代の煉瓦の特徴ですが、一つ一つが緻密に積み上げられています。西洋の技術を細かに展開したものです。


いよいよ要塞のトンネルです。
弾薬庫などが並んでいます。画像はフラッシュをたいておりますが、通路は暗い状態です。
地図の④です。

さて、このトンネルの入り口を上から見下ろしました。
深く掘り下げられて居ることがわかります。トンネルはこれだけ深い位置にあり、戦艦の大きな大砲の弾が降り注いできても、弾薬庫は大丈夫そうです。

明治時代の砲台地下施設です。
フランス積みとよばれる煉瓦構造です。
山頂付近の指令所や照明所連絡通路、そして砲台全体の弾薬を貯蔵する施設です。
今日ではご覧の様に蓋がされて中には入れませんが、撮影場所である通路と平行して長い部屋が配置されています。

通路を見てみます。中は暗く、先は途中から下り坂になっています。

壁をみています。同じく緻密に組まれ、また入り口にはカーブに沿っての円弧のレンガの積み立てもみえます。
上から水が染みてきています。

壁につくられた穴で、通気口と思われますが、奥は途中で曲がっており、様子がわかりませんでした。

天井を見てみます。明治時代のレンガ積みですが、漆喰には特に痛みもありません。
もしかして修復か清掃か、とも思います。が、全般に明治時代のレンガ積みで今日も残る重要な施設(刑務所など)では、綺麗なレンガ積みが今日まで残っています。

第一砲台の麓まできました。
撮影した場所は、深い溝になっています。砲台は山の上です。
この正面は弾薬庫と砲弾を上げる縦向きのトンネルがあります。
当初、ここには27センチ加農砲が据えられていましたが、その後、高角砲が設置されました。
地図の⑤の地点で、その先にもトンネルがあります。

第一砲台へ上がる階段です。先ほど正面に見えたトンネルの左手にありました。撮影した場所が、深く掘りこまれた場所であることがお解かりいただけるかと思います。
こうした砲台へあがる階段はもうひとつありましたが、いずれも閉鎖されており、砲台跡地へ進むことは出来ませんでした。

看板の地図にあります弾薬庫へ進みます。
途中から広くなっています。向こうへ抜けていて、その向こうに東京湾が広がっています。この向こうに高角砲台があります。
地図の⑥にあたります。

トンネルを通り抜けたところで振り返ります。
左側突き当りに板張りになっている場所があります。弾薬を上の第一砲台へ
揚げるためのものですが、閉鎖されています。

砲弾を揚げる筒を、カメラを突っ込んで上向きに撮影したものです。
木を縦に配置した筒です。上はブロックで屋根が作ってあるのがわかります。
ここを砲弾が上っていき、上で受け取られ大砲へ運ばれたわけです。

では、次ページでは昭和の高角砲座をみていきます。




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