このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




ロシア風俗絵葉書 飢餓救済



                        
寺院
露國飢饉救済婦人有志会が発行したロシア風俗絵葉書(甲)を紹介いたします。甲とありますので、乙、丙とシリーズがあるのかもしれません。

まずは絵葉書の紹介文から。

『ロシアでは昨年からの大飢饉のために、三千万人に近い大人や子供がわらや土を食べて命をつなぎ、餓死した者も何十万人に上りました。
ヨーロッパやアメリカの國々では大人はもとより子供まで食物そのほかの日用品をこの気の毒な人々に分けて送っています。
私も今度、寄付金を集めてこの人たちに送ることにしました。寄付金はどんなに少しでもかまいません。
御志のある方は、先へお送りください。
東京日本橋白木屋前加島ビルディング
露國飢饉救済婦人有志会』

託児所
戦前から婦人団体は多くあり、これはその中のひとつが出版しました絵葉書です。
風俗絵葉書という、各地の風俗風習を撮影した絵葉書ですが、加えて基金を救う活動で募金を呼びかけるものとなっています。また、その活動の一環として、風俗風習の紹介と惨状を絵葉書にしたと考えます。
大正、昭和にかけて、女性の就学の機運が高まっており、また意識ある日本の女性達による各種団体もできてきました。こうした女性団体のひとつと思われます。
他国の国難を救うべく、積極的に活動したものと想像します。

国難救済といえば、シベリアのポーランド人孤児に日本は大きく貢献したことがあります。
詳細は こちら。
この時も女性が大きな力を発揮しました。時代や事件の最先端に女性の力があるというのは、昔も今も変わらないことでもあります。

農家の女
さて、絵葉書には一般に出版された年月は記載されず、この絵葉書にも発行年月日はありません。よって、露国の飢饉がいつの飢饉をさしているのかは不明です。
考えられますのは1921年ごろのロシア革命時の大飢饉、そして第1次5カ年計画後の1933年の大飢饉です。
今一度、絵葉書に手がかりを見てみますが、まずこの絵葉書の包みには露國飢饉救済婦人有志会の住所があり、これは『東京日本橋白木屋前加島ビルディング』とあります。
まず場所はビルですが、住所には白木屋前とあります。この白木屋はあの白木屋百貨店と考えますが、しかしこの白木屋は年号の手がかりにはなりそうにありません。白木屋の歴史を振り返りますと、1903年に日本橋に新館落成以来、1967年の合併まで長きに渡り日本橋にて営業しています。
一方で、1923年に関東大震災によって日本橋本店は全壊していますがその後、復旧しております。また1932年、あの白木屋の火災が起きますが、白木屋自体が日本橋から無くなっているわけではありません。
そうなりますと、加島ビルディングが手がかりとなります。もしも関東大震災でこの加島ビルディングが無くなっていれば、この住所は関東大震災前のものであり、飢饉は1921年のものと判断されます。一方でこの加島ビルディングが関東大震災後であれば1933年の飢饉であるものと考えられます。
が、残念ながら古い地図なども見ておりますが、現状、加島ビルディングの存在が確認できておらず、不明です。

さて、画像は農家の女性2名を写したものです。この服装から判断は難しいのですが、印象としてウクライナ地方の服装にもみえます。

農村の人々
以上から絵葉書からは判明しません。ですので、ここから当HP管理人の想像となりますが、この絵葉書は1921年の飢饉ではないでしょうか。
ロシア革命後の飢饉は、その犠牲者の数は歴史の研究によりいくつかの説がありますが、先の紹介にあります三千万という数値は1921年の犠牲者の数に近いものといえます(1933年の犠牲者は700万人との資料があります)。
また1933年は、ロシア革命後、政権も強固となり、レーニンからスターリンに政権が移っている頃です。飢餓の犠牲となっている写真がこの絵葉書にありますが、こういった写真がスターリン時代に国外に出るというのも考えにくく思われます。
よって、この絵葉書および募金については、革命直後、1921年の政治混乱期の飢餓をさしているものと考えます。

画像は農村で、顔つきにはあまり余裕が見られず、飢餓の村の撮影とも思われます。
服装はみすぼらしく、そしてほとんどが裸足です。

さて、この時の飢餓は深刻なもので、初代国連高等弁務官のフリチョフ・ナンセンの報告には「市場などで公然と塩漬けの人肉が売られていた。」との内容さえあるとのことです(これについて邦訳は未だ無いようです)。

さて、ロシアの大飢饉ですが、今日では研究結果がインターネットにも掲載されており、そちらで詳しく紹介されています。「1921年 大量餓死」、「食糧徴発隊」などで検索しますと該当いたしますので、当HPでは紹介までにとどめることと致します。学校の歴史では習わなかった様々な歴史研究がアップされています。私は、革命前の労働者は給与が安く、一日働いてもパンを買うお金すら得られなかったので革命になったと教わりましたが(では労働者はどうやって食べていたのか、の説明はありませんでした)、革命後に内乱といっていい騒乱があり、そして大飢饉がおきていたことまでは全くふれられませんでした。これら飢饉は知られざる歴史の裏側、といっていいかと思います(これら革命前後を研究した資料には、我々にもなじみの深いスターリンについて、実はこの名は本名ではなく変名を名乗ったもの、といったものもあり、学校では習わなかった歴史研究がなされています)。

さて画像は飢餓の農民です。左にやせ衰えて生気の失せた子供が見えます。この絵葉書には、これをふくめて飢餓の犠牲の写真が二枚ありますが、紹介は一枚のみとしております。


→報道・風俗風習・各種絵葉書へ戻る
 
→歴史資料館 目次へ戻る

→みに・ミーの部屋に戻る







このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください