このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




川棚魚雷艇特攻隊

特攻殉國の碑
及び周辺


特攻殉国の碑
公園として整備してあります。車は右手、防波堤前に止めることが出来ます。

特攻殉国の碑
多くの花が飾ってある静かな場所でした。
私も当時お亡くなりになった大勢の方々の御冥福をお祈りし、今日の平和を感謝して参りました。

特攻殉国の碑
大勢の若人が訪れていました。
防波堤で明るく賑やかに記念撮影などしていた彼らですが、碑の前では皆、静かに碑文をじっと見つめていました(後で伺ったところ、福岡から来たとの事でした)。
碑文によりますと、もともと魚雷艇の訓練所からスタートし、さらに戦局にあわせて様々な特攻兵器の訓練が行われた様です(震洋、伏竜、回天、蛟竜)。
魚雷艇と蛟竜以外は、全て兵員と共に体当たりする特攻兵器です。

クレーン基部
青く静かな海に、クレーンの基部だけが残っています。
海に面しますもので、当時をしのばせるものはこれしか見出せませんでした。

クレーン基部
別の角度からクローズアップです。

クレーン
設置されましたクレーンはひとつだけで、これは木で出来た足場で堤防と繋がっていました。
当時を描いた絵です。手前が陸地です。クレーン形状は想像とのことです。
これは川棚町資料館に展示されます、当時を描いた絵からピックアップしたものです。
この絵は、当時の建物などの配置につきましても、詳細が描きこまれております。
尚、絵全体につきましては、是非、資料館を訪問の上、見学いただきます様、ご案内いたします。
また資料館には、周辺の地図に当時の建物類を書き込んだものも掲載してあります。

参考
参考としまして、川棚資料館展示物を紹介します。
「特用要具筐 九十五式魚雷改一用」とあります。
がっしりと重そうな鉄の箱でした(中は空です)。

周辺
訓練所跡は西側に半島があり、湾を形成しています。
撮影は湾の西側で、当時桟橋やスロープなどがあったそうですが、現在では確認できませんでした。

病院跡
赤いレンガの壁と、鉄製の立派な門が残っています。

病院跡
建物などは残っていない様です。
場所は特攻殉国の碑から東、小串郷駅方面へ進みますと道路わき、左手に見えます。

特攻殉国の碑の案内板
殉国の碑を中心にクローズアップします。
中央①とありますのが特攻殉国の碑です。
①の右に烹炊所とあります。またそこには防空壕が書き込まれています。
ここには合計3つの防空壕があったことが川棚町資料館の展示物に示されていますが、その内の一つが非常に長い壕だった様で、それが案内板に示されています。
烹炊所があった場所も訪れまして、防空壕の一つ、規模の小さいものを確認致しましたものを別頁に掲載しております。
尚、残る二つは探索が充分ではなく、見出せておりません。
左下、半島の先に13粍対空機銃が設置されていたことが記されています。ここはセメントで陣地を作っていた様です。現在は私有地(売地)とかぶっている模様で、残念ながら確認できませんでした。対空陣地跡の写真、及び測量結果は川棚町資料館に紹介されていますので、合わせてご案内いたします。

殉国の碑
殉国の碑は赤丸にあります。
右側青丸は病院跡、緑丸が防空壕跡です。
こちらへは、大塔インターから進みます場合、国道をハウステンボス方面へ進み、そのまま205号線を進み、ハウステンボスを過ぎてしばらくしますと立て看板が立っており、直ぐわかります。目印としましては右手にコンビニ(デイリーマート)のあります信号です。
付近は漁港のある民家の密集したところですので、ご来訪の際は交通安全でお願いいたします


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