| 満州国崩壊後、在満の邦人は日本へ引き揚げました。
その引き揚げ者達が大陸を後にした港はいくつかあります。その中で、ころ島という港には、当時、日本人を収容した建物が今日も残っていることがわかりました。その建物の画像を提供いただきましたので、こちらに紹介いたします。
まずは場所の説明と歴史を振り返ってみます。
中国は錦州の南隣、遼東湾にそった場所に、ころ島という港町があります。島ではなく半島です。
また"ころ"は瓢箪(ひょうたん)の意味で、勿論、漢字はあります。
が、複数の漢字表記がある、当用漢字でない、などから、ここでは平仮名の、ころ島で記載してまいります。 |
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| ころ島は、黄海の北側、営口の西、渤海湾に面した港町です。
今日の地図で場所を示します。
錦州の下、赤く塗っております場所です。大連に次ぐ港として発展させるべく、港湾建築が進められました。
かつては満州族がここを拠点に北京方面へ侵攻した歴史もあります。この侵攻後、清朝が設立されました。
付近では亜鉛鉱が見つかり、この亜鉛鉱の積み出しも行われています。
軍の燃料工場が建設され石油の荷揚げ港でもありました。
ちなみに当時、画面中央上の阜新(石炭の露天掘りで急速に発達した町)の近くで石油も見つかっていますが、産出量は微量であったらしく、ころ島の港や燃料工場施設と繋がりがあったかは不明です。 |
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| これを昭和5年の地図で見てみます。
『葫芦島』に錨のマークがあり、既に港があることがわかります。
が、大連、営口と違い、そこからの海路は描かれていません(赤い線)。
これは主要な貨客船の航路を描いたものですが、当時は、まだ多量の海上輸送はなかったことがわかります。
この地図からころ島は連山湾に面していることがわかります。
さらに、ころ島への線路も地図に描かれています。これは錦西駅からの支線で、幅1435mmの広軌道です。
この地図に駅名は記入されていませんが、分岐点の錦西駅から約7キロで葫芦島駅、次に約5キロで葫芦島埠頭駅がありました。 |
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| 昭和初頭の土木雑誌から、大陸の大物軍閥、張学良によるころ島築港計画図です。張学良自ら築港起工式に参加する熱の入れようでした。
本来の海岸線がわかり、ころ島が、何故"島"と呼ばれるか、がわかります。
また南側に広く港が広げられつつあることがわかります。
この築湾ですが、1年半程度の工事の後、満州事変の為に中断しています。
工事中断と言えば、満州国設立前にも鉄道他の工事の代金を集めておきながら工事は中断、資金は四散している例は少なくなく、別途満州の特集ページでも紹介いたしました(先日も中国軍が埋めた旧日本軍やソ連軍の弾薬を処理する費用は日本が用立てましたが、工事は成されないまま資金は四散しました)。
こちら張学良の肝いりの土木工事は流石にそうしたことはなかったのでしょう。
しかしながら戦乱での中断となってしまいます。
満州国設立後に本格的な工事が再開、結果、太平洋戦争が終わるころにはほぼ計画通りの港が完成しています。
ただ、埠頭の形や位置は、元の計画と異なり、例えば南端の埠頭と防波堤は一体ではなく、平行に別々の配置となっています。 |
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| さて、ころ島に港を作り始めたのは張学良ですが、このことについて戦前の書籍では、
『大連港の繁栄をこちらに奪おうとし、防波堤を築き』
と記述があります。
さて画像は、キャプションに連山湾とあります。また港の構築現場を撮影しています。
手前に砂浜が見えます。
やや遠く、左から右へ細く飛び出しているのが工事中の防波堤です。四角く突起がいくつかありますが、これはクレーンです。
ここを埋め立てし、港を形成するのでしょう。
沖合いには煙突から煙を吐きながら貨物船が通っています。波も静かで平穏な風景に見えます。
左端に斜面があり、丘が海のそばにあります。また撮影者もやや高い位置から見下ろしながら撮影をしています。
さて、この写真、当時の資料を調べていただいた方からの情報です。
左端に見えます山は、「半拉山」で、自然の岬の付け根にあった山です。港の構築の際に削られ、現在はまったく姿を消しています。
画面右の中央あたりには「高梁頭朶」(朶には、ほんとうは土へんがつきます)という小高い山がありました。が、これは削られてしまい、その痕跡しか残っていない状態です。 |
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| さて、ここに近代的な港が建設されます。
昭和7年の書籍の記述から。
『葫芦島は北寧線連山の当方約三マイルの海岸にある、昭和十年に竣成の予定で昭和5年7月築港起工式を挙げた。
中満側の鉄道貨物は、将来、ここに集中せんとしている。』
新しい港としての発展が期待されていたことがわかります。
画像は戦前の撮影で、遠くになだらかな山が見え、右側、山の中腹に大きな建物が見えます。画面左側中央あたりに海がみえます。
手前には物資が整然と並べられています。さらにクレーンと思われます鉄骨の支柱が空中に見えます。建築中の港を写したものに思えます。
さて今一度、遠くにあります山と建物を。
二つ瘤の山は港の西にあるものです。
また中腹の大きな建物は、大変立派なものです。もしかすると張学良の別荘の可能性もあります。これはその後に取り壊されて日本の石油タンクが作られます。このタンクは現存しています。
戦後、その石油タンクの一つを取り巻くようにして、張学良記念碑が建てられました。張学良ゆかりの土地、ならではです。 |
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| 戦後、多くの日本人が満州から引き揚げました。
ここ、ころ島にも引揚者が集められ、日本へ引き揚げて行きました
日本人難民のうち満州にいた105万人以上は、1946年からの数年間でこのころ島の港から引揚船に乗って博多港などへ脱出しました。
今日、ころ島には「日本僑俘遣返之地」の記念碑が建っています(葫芦島在留日本人大送還)。
かつて満州でアナウンサーをしていた森繁久弥も、ここを経由して日本へ引き揚げました。
森繁久弥は、引き揚げについては語らなかったそうですが、当時、子供だった森繁の娘が体験談を残しています。
そこでは集められた沢山の日本人が、日々、疫病等で死亡。子供らは、それらをみて葬式ごっこをして引き揚げまでの時間を過ごしたそうです。混乱と悲惨さを極めた、引き揚げの悲劇はここでもあったことがわかります。 |
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| 引き揚げの際に日本人を収容した建物が今日も残っていることがわかりました。では場所の紹介と、現在の様子を地図で紹介いたします。
では場所をグーグルマップから。
図の右側(東の方向)へ半島が延び、またそこは埋め立てが進み、区画が綺麗に整えられていることがわかります。
今日のグーグルマップで
こちら
(クリック願います)。是非、地図画面と航空写真の両方でご覧下さい。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=40.722234,120.93868&spn=0.011904,0.02738&t=h&z=16&brcurrent=3,0x0:0x0,1 |
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| 現在の海岸線(先ほどのグーグルショートカットの航空写真)に、推定されるかつての海岸線を書き加えてみました。 |
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| では、まず当時のころ島の引揚者第一〜第三集中営や病院他の配置を模式図で示します。
この模式図2枚は、後述する新京敗戦記(2)という引き揚げの手記に添付されました見取り図から作成したものです。また「集中営」とは当時の中国側の用語で、収容所の意味です。
図中の海岸線は、1945年当時のものですので、先ほどのグーグルアースの海岸線とは異なります。また、主に駅と集中営の配置を示すもので、海岸線は大まかに描いてあります。
青色が、ころ島駅(現在の馬杖房駅)、オレンジ路がころ島病院、右の黄緑がころ島埠頭駅です。
四角く点線で囲ってあるのが第一〜第三集中営で、満州国当時は日本人住宅街であった場所です。 |
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| 病院周辺を詳しく書き出したものです。
周辺の四角い団地は第三集中営です。これは模式図ですので、実際の配置を大まかに示す形で描いてあります。
また当時の道路の配置がわかります。
左端に山が、そして山越えの切り通しが描かれているのに注目してください。
集中営の建物群は4列で、上から2列の右端に向きの違う建物が一棟あります。
ちなみに、オレンジ色の矢印が病院です。
この絵は北側から見た鳥瞰図です。隣接するボイラー室と煙を吐く煙突も書き込まれています。 |
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| ではグーグルアースから今日の周辺を全体的に見てまいります。集中営、駅、病院の配置もご覧下さい。
馬杖房駅が、かつての、ころ島駅です。ちなみに「杖」はほんとうは「にんべん」です。
また「小学校?」につきましては推定ですが、小学校に収容された引き揚げ者の記録もありますので、小学校があったことは間違いなく、この建物と判断し、記入してあります。
また、南山公園は、前出の地図にも名前がありますので、全体の位置を参照することが出来ます。 |
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| さらに第三集中営と病院の部分の拡大図です。
Tの字を逆さまにした病院の形と周辺の配置がよくわかります。
建物は下側が玄関、上側のTに延びている側が裏側で四角いボイラー室が隣接しています。グーグルアースの画面を良く見ますと、煙突の影が左上方向へ長く伸びています。
第三集中営は、前述の手記によれば4列16棟であったこと、そのうち東端の1棟だけ向きが違っているとのことです。この向きが違うもの(画面右、中央やや上)がグーグルアースの画像でも見られます。ただ、各列の棟数は微妙に異なっており、これは記憶違いかもしれません。 |
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