このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




三池湾閘門


三池港は、遠浅で干潮満潮差の大きい有明海に面しており、この干満差があっても大型船が運用できるように構築されました。
ここには2枚のイギリス製の鋼鉄製門扉が配置されています。干潮時にはこれを閉めて湾内の水位を保つ、大きなドックです。
明治41年(1908年)完成。
有明海に面する三池湾を、まず地図で解説いたします。
上側が北で、青い部分が海です。
全体としてフラスコをふたつ重ねた様に見えます(飛ぶ鳥を模したともいうそうですが)。
この二つ目のフラスコに封をする形で閘門が設置されています。緑の矢印の先の、突起部です。
ちなみに赤十字()のところに快速石炭船積機があります(地図を元に管理人にて作図)。

三池湾閘門の全景です。
先の地図の右側、つまり三池湾の内側の快速石炭船積機のそばから見ています。
小さな島が二つあり、そのあいだを船が通ります。ここに閘門が設置されています。
両側にスリット状に並んでいるのが海水の出入りを調整するスルーゲートです。

ではまず明治時代に撮影された石炭積載船の出港の様子から。
有明海へ向けて、いままさに船が三池湾から出向しようとしています。写真ではわかりにくいかもしれませんが、スルーゲートは下がっています。

そしていよいよ門を通過して船が出港するところです。船名は丸山田丸とあり、日本の船の様です。

今度は有明海側から三池湾方面(先の地図の左側から)見てみます。
現在も、これら閘門とスルーゲート、そしてそれを駆動させる装置は現役です。
白い建物の中に門を開け閉めする動力装置が入っています。またその向こうに快速石炭船積機3号機が見えます。
建物の大きさから、閘門やスルーゲートの大きさをご想像下さい。

スルーゲートです。
船が通る部分の左右に位置するスルーゲートの、北側に位置するものを写しています。
煉瓦をきっちりと組み上げた頑丈な構造であることがおわかり頂けるかと思います。
また上部に、ゲートを上下する為の大きな歯車が見えます。またゲートは水面下まで降りています。
このスルーゲートですが、船が出入りする際に海水を逃がして船の運航をスムースにする為のものです。船が出入りする部分よりも幅が広く、かつ両側に設置してあることから、多量の海水の出入りも渦巻かずゆっくりと行えることが想像されます。先の写真でも判りますとおり、船はぎりぎりの幅で出入りしており、船に不安定な海水の流れを生じさせない為の、出来る限りの工夫がなされていると考えられます。
閘門へはここを渡って行くことが出来ます。駐車場もあり、見学は特に不自由しません。

スルーゲートの動力部です。
左端にスルーゲートの歯車がちょっとだけ写っています。

閘門です。柱が並んでいる部分です。
現在、開いています。
右奥が三池湾側。
向かって左側に閘門のちょうつがいがあります。

閘門の操作を行う動力機が納められています
レトロな建物に三池のマークが付いています。

人員用の橋です。
ぐおんぐおんと音を立てて、両側からまっすぐに突き出してきます。
丁度、海上保安庁の隊員の方が向こうへ渡るところで、作動に立ち会うことが出来ました。
左が引っ込んでいる状態です。
閘門が閉まっていれば、その上を歩くことが出来そうですが、開いているときはこれを使用する訳です。稼動する事の利便性を考えてか幅は人がすれ違えないほど狭く、手すりは大人の膝までしかありません。また作動ですが、がっくんがっくんと動き、最後はバタッと停まります。

なにやら60年代のTV特撮映画シリーズ「サンダーバード」における垂直上昇機サンダーバード1号へパイロットが乗り込むシーンを思い出しました。
ちなみに、サンダーバード1号ではパイロットを乗せたまま乗り込み口へ橋が突き出して行きました。
しかし、ここでサンダーバード1号ごっこをすると、多分海に落っこちますね。

閘門は、ほぼ海水に没しており、その大きさは良くわかりません。
そこで、この門が完成したときの記念写真を掲載します。
周囲に並ぶ人の背丈と比べ、この閘門が如何に大きな物であるかがお分かりいただけるかと思います。
またこれは完成時のもので、工事の為に海水を止めたものとおもわれます(いくら引き潮でもここまで潮は引きません)。
また、ちょうつがいの位置から見て、有明海川から三池湾方面へ向けて撮影したものと思われます。
この閘門を持つ三池湾のシステムは、100年は使用できることを前提に計画、建築されています。
もし石炭が枯渇しても、良い港があれば産業は生きるとの計画によるものです。
そういえば三池炭鉱の縦坑櫓も100年は使用できることを想定した非常に頑丈な設計だったそうで、閉山されるまで現役で活躍し続けました。
明治時代は100年という長い期間を見据えて物事を計画し、そして実行していた証でもあります。
三池湾閘門は35年から41年にかけて工事がすすめられました。
江戸時代からわずか三十余年後から着手されたことと考え合わせても、明治時代という遠い昔の人々の底力を今日にも感じとることができます。
貴重な近代歴史遺産と考えます。


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