| 戦時中に大きな落盤事故を起こし、閉山となった炭坑です。
瀬戸内の海底炭田でも2番目に多い犠牲者とのことで、事故犠牲者を悼む慰霊塔が、炭坑施設跡地に建てられています。
現在は海から突き出す2本の塔と炭坑住宅が残っています。
写真はその塔で、ピーヤーと呼ばれるもの。このピーヤーは海底への空気の入れ換えや各種用力を送るためのものです。
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| ピーヤー正面から
撮影は護岸壁の上から、やや見下ろす感じで撮影です。
ところで「ピーヤー」という言葉ですが、私は英語の「pier」ではないかと思います。
pier【名】【C】
1 a 桟橋,埠頭(ふとう)《★〈類語〉→wharf》
b 遊歩桟橋《海に突き出た桟橋で,レストランや劇場などがある》.
2 橋脚,せり持ち.
3 建 窓間壁.
かつてピーヤーという言葉は土木関連でよく使われていた様です。
この長生炭坑の場合、機能からすれば煙突に近いかも知れませんが、桟橋の橋脚にも似ていることから土木業界用語のピーヤーで呼ばれたのでは、と想像します。
一方、またこの炭坑が運営されていた時期は戦時中であり、敵国由来の言葉を使ったかどうかという点ですが、使用に慣れた言葉は特に気にせず使用された様です。例えばトーチカ、キオスク、クリーク、モーター、ディーゼル、エンジン、ケーブルなどが挙げられます。
以上から、ピーヤーは英語由来の「pier」では、と思います。
CH04 |
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| 古い写真ですと、この上からパイプが出ていた様ですが、撮影時は何も見えませんでした。
空気を送風し、水をくみ出す機能があったとの事です。
そうした動力関連は、大きな馬力で長時間連続稼働する必要があると考えます。
そうしますと、動力は狭い塔の上ではなく海岸までパイプを延ばして設置されていたのではないかと想像します。
周囲にそうした跡は確認できませんでしたが。
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| 腐食と風化が進んでいるようです。
風が強く、波しぶきが飛んでくるため、海岸線へ降りての撮影は出来ませんでした。
引き潮の時には近くに寄れるのでは、と思います。
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| こちらも痛んでいる様です。ただ、今にも倒れそうという感じでは無さそうです。
これも上の部分を見ることが出来ませんでした。周囲に、これを見下ろすものもなく、上部の構造はわかりません。
遠くに瀬戸内を行き交う貨物船が見えます。
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| 鉄筋が一部剥き出しになっているようです。
撮影した足元は砂浜で、海水浴場としての整備が進んでいます。
右側の青い旗は、恐らくその遊泳関連の注意を促す物と思われます。
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| 遠くに見えるのが、当時のまま残っている炭坑社宅です。
今でも十数世帯が住んでいる様に見えました。
住民の居る棟の煙突から煙が見えます。お風呂でしょうか。
また修繕はされているようですが、当時の社宅のままの様です。
これら社宅以外では炭坑関連の建造物はみあたりませんでした。
長生炭坑に加え、西と東にさらに一つずつ炭坑坑道があったようですが、いずれも炭坑入り口は確認できませんでした。
巻き揚げ機用のコンクリートの櫓や、鉄製の柱やイプ、装置の残骸も最近まで残っていたそうですが、これも既に撤去されたのか、見あたりませんでした。
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| 離れたところにぽつんと一軒だけ残っている住宅。玄関が真ん中にある様です。
もしかすると、玄関を境に左右に一世帯ずつという間取りかもしれません。
周囲はすべて取り壊されていました。
海岸沿いに新しいバイパス道路が建設され、そこから炭坑社宅を見ることが出来ます(恐らく国道や電車からは木陰になって見えない)。
九州は田川で炭坑住宅が移設保存されている例があります。が、当時のままで炭坑住宅が現存しているのは珍しいのではと思います。
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| 取り壊された炭鉱受託の残骸。
今にも壊れそうだったとの話しもあり、危険予防のためか壊れる前にとりあえず潰したという印象です。
廃材はそのまま放置され、草に覆われていました。
社宅が並んでいたと推測されるエリアに石炭が積み上げられているのが見えました。
草ぼうぼうで写真には撮れなかったのですが、細かく砕いた石炭でした。
協同で使用するためのものではと想像しています。
石炭は火力が強いので一般家庭でも重宝するとは思いますが、質が悪いと煙をもうもうと出す事や、薪に比べて点火に手が掛かるなど、必ずしも使いよい物ではなかったそうです。
ガスが当たり前の昨今では、ちょっと判らない不便さですね。 |
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| ピーヤーから慰霊碑を見る。
その向こうは宇部線。
慰霊碑へは国道沿いのパチンコ店の駐車場から階段を経由するのが最もわかりよいと思われます。
私が訪れた際は雨が降り出した為、残念ながら訪れていません。
近々、出直したいと思います。
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| 下記ショートカットをもとに、図面周りのスケールやスクロールにて場所を確認してみてください。
スクロールは、画面に直接クリックしても可能です。
場所はJR宇部線と国道190号のすぐそばです。
炭坑があった当時からも線路は通っていたそうで、交通の要所だった様です。
訪れる際の安全注意としましては、交通安全とご近所への配慮をお願いします。
地図の海岸沿いの道路は広いのですが、そこまでの道路が狭い事、また途中は通学路もありますので、交通安全にはくれぐれもご注意下さい。
http://www.do-map.net/emmctl.htm?ENC=0iBSH9KpohfrGxOYK3%2BGSua2htZcJR2QDw2JhNpCHvijGy%2BtwAk4MnctNo8%2B9E%2FgzxW1wqbsSaY8TGB4k%2FX%2BGoQ3h1I6OoetSPdc%2F674tjE%3D
長生炭坑の歴史は、下記ウェブ頁にも紹介されています。
http://www.ubejiho.co.jp/jihopub/0084.html |
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