このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




快速石炭船積機


海岸沿いを移動する船積用機械。石炭の積載能力は一時間300トン。
ダンクロ・ローダーの愛称でもしられます。合計3台あったそうですが、2台
は撤去。現存しているのはその3号機で、1911年(明治44年)製造です。


横から見たところです。
大きな支柱が直角三角形を形成しています。
この形状は、斜めの支柱にバケットを装着し、このバケットをスライドさせるレールの役割を持っている事によります。大きさは写真では伝わりにくいかと思いますが、丁度釣りをしている人がいましたので、比較してみてください。

かつて三池炭坑の専用線路が通っていた位置から撮影。この専用線路は右奥の方にある三井鉱山三川鉱へつながっています。
この線路を通って運ばれてきた石炭は貨物車からバケットへ移されます。そしてバケットはスライドしながら上がって行き、岸壁に待機する船(ローダーの向かって左側)へ、上から注ぎ込むように積み込まれます。

先程の写真の向かって左側の足元です。
大変大きな車輪が装着されています。そしてレールの上を移動し、船への積み込みを行ったそうです。
が、これは晩年にはレールは撤去され、固定された位置で稼動したそうです。

今度は向かって右側の足元です(先ほどの車輪の反対側)。
バケットをスライドさせる斜め支柱の基礎部でもあります。
かつてはこちらにも移動用のレールがあったわけですが撤去されており、全く残っていません。

後ろから見たところ。
ダンクロローダーへ繋がる水平の支柱はベルトコンベアでした(現在、写真のすぐ後ろまでしか残っておらず、撤去されています)。
どうやらバケット式からベルトコンベア式へ、機能を切り替えたようです。
このベルトコンベアは、かつて在った線路をまたぐ形で配置されています。撮影はその線路跡に立って行っています。
この3号機は晩年にはボタの積み出しの役目となったそうです。石炭の積み出しは、沖合にある施設へその役割を移動しました。

反対側から見たところです。直角三角形を構成する支柱が良くわかります。

アームのクローズアップ。

ダンクロ・ローダーの下に回り込み、底からのぞいたところ。
下からは配電盤をはじめ、機械部分が丸見えです。機械エリアの床板は錆・腐食のために脱落してしまっているものと思われます。
また見た目の印象ですが、これが構築された明治時代の装置というより、近代の物に見えます。
それにしても床が抜けているくらいですから、この装置があるエリアの中に入るのは大変危険ですね。
が、梯子や階段は腐食して崩れており、このダンクローダーの中へ入るのは不可能です。

アームの基部を下から覗いたところ。
ベルトコンベアのベルトが見えます。
周囲の支柱は腐食により変色しています。

海側から見たところ。
周囲と比較しても如何に大きな構造物であるかがおわかり頂けると思います。

かつての積み込み風景。1909年に完成した1・2号機が見えます。
が、3号機は見あたらず、これが完成した1911(明治44)年よりも前の撮影である事が判ります。
支柱のトップに大きな滑車が装着されていること、また石炭を注ぐ為と思われる滑り台状の物が見えます。写真では上を向いていますが、必要に応じ船へ向かって下がります。
また操作室と思われるエリアは丸屋根で構成されており、今日の状態の3号機よりもモダンなデザインに見えます。
また船名は「KINKOMARU」とあります。

ローダーのクローズアップ。バケットをスライドさせる斜めの支柱の上に大きな滑車が見えます。

同じく積み込み風景。
先ほどの滑り台状のものが船へ下がっています。また、斜め支柱をバケットが昇りつつある様です。
すぐ横には貨物車を引いている機関車が見え、三井炭坑専用線路と連結していることが良くわかります。
石炭を積み込んでいる船はDIX号とあり、アメリカの船とキャプションにあります。三池の石炭は極めて燃焼カロリーの高い優秀なものだったそうですので、はるばるアメリカにも輸出していたんですね。


→大牟田・近代歴史遺産地図へ戻る

→廃虚近代遺跡目次へ戻る

→みに・ミーの部屋に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください