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雑誌と広告

その1)
さて、私は古本屋通いが趣味で、出掛けた先の古本屋で思いつくままに書籍を購入しています。そうして集めた書籍からいくつかをピックアップし、読書感想を書いてみたいと思います。さて感想文は読んだ本についてあれこれと書くのが普通です。しかし、ここでは本をきっかけに連想した事を気の向くままに書いてみたいと思います。つまり読書感想文というタイトルにはしておりますが、最初から脱線しておりますので、予めご容赦いただきます様、お願いします。

さて、まずは古い雑誌について。
従来、古本屋では客寄せ用として高価な値段をつけてショーウィンドウに納めている場合がよくあります。レアなものも扱っている店だという印象を与えるための飾り物で「見せ本」とも呼ばれます。この見せ本に古い雑誌が並べられているケースもよくありました。
しかし、昨今は古い雑誌へのニーズが増えたのか、どんどん商品として見かける様になり、そして手の届く値段となってきました。おそらくネットの発達もそうした商品のニーズを支える様になったのか、とも想像します。

古い雑誌のうち、漫画雑誌は、なかなか発見にあふれています。今では大御所の漫画家さん、あるいは惜しくも亡くなられた漫画家さんたちがずらりと名を連ねていて、内容が実に豊富だったりするのです。一方、才能を開花させつつも今は名前を見かけなくなってしまった漫画家さんも懐かしく読み直せます。
掲載漫画も単行本化されたものとは違った面白味があります。漫画も連載時と単行本収録時で描き直されている場合があります。雑誌を見る事で、そのオリジナルを確認できます。これは贔屓(ひいき)の漫画家がある人にはかなり感慨深く読めるかと思います。また、単行本にまとめられた際には再現されなかった二色刷も雑誌なら見る事が出来ます。
さらに頁の縁にコメント欄がある場合は、そこに読者からの投稿も読むことが出来ます。

さて、漫画に限らず古い雑誌の楽しみとしましては、そのタイムトリップ感が挙げられます。まずその雑誌の年号から「この時、私はまだ小学校だった」「中学校に上がったばかりだ」といった感慨もタイムとリップ感です。
また、社会通念の変化を見る場合もタイムトリップ感を伴います。少年誌の喫煙シーンがある時期でぴたりと無くなり、一方でその前は少年誌でも普通に喫煙しまくっていた事なども発見です。
また現在では社会通念上使用が好ましくないとされる文言も、ごく最近まで使用していたのだと発見できます。例えば、言動が社会常識から逸脱する人を指す熟語も、ごく最近まで普通に表現されていたのです。これも社会通念が年代で徐々に移り変わり、それが漫画表現と密接しているとも言えます。あるいはそうして切り取られていく表現を漫画に見るにつけ、我々の生活に於いてごく普通に特別な意図もなく自然に用いた文言が、今では規制となっている事も確認できます。
その2)
広告欄も発見が沢山あります。
通信販売は今も昔も盛んですが、その商品は今では廃れたもの、あるいは今も健在のものといろいろあります。
廃れたものとしましては、今のノートパソコンよりもはるかに大きな卓上装置で「一人で麻雀、仲間にナイショで強くなる」とか、通信カラテも同じく「一人で強くなれる」という宣伝文句でした。通信とは言うものの添付してある練習日記を自分で黙々と書くだけみたいですけれどもね。
腕時計もつぎつぎ新商品が開発されていることが判ります。特にデジタル表示腕時計の変遷は興味深く、今では廃れてしまった形式もあります。
デジタル時計とは、針で時間を指し示すアナログと違い、直接時間を数字で表示するものです。そのデジタル時計の表示は今日では液晶表示が当たり前です。しかし、液晶が普及する以前には、表示がデジタルであっても機構はアナログだ、という商品があったのです。
昭和50年の雑誌で紹介されていたものは、表示面に小さい覗き窓が開いているというものでした。この窓に時間を表す数字が見えるというものです。その機構はアナログですが、時間の確認は直接数字で見るわけですからデジタルです。もう少し詳しく書くと、表示部の下に円周に数字を書いた文字盤が時計の針と同じ要領で回って、3時なら3という数字が覗き窓から見えるということです。針の代わりに文字盤が回るというわけです。なんだか、発想の逆転というか、よく思いついたものだと思います。そんな製品でもスイス製で2万数千円という高価な値段が付いていました(今日の相場なら10万円近いかも)。

広告での面白みは、先の廃れてしまったものだけではありません。今も昔も変わらない商品があり、これは本当に感心します。髪の毛が増える、痩せられる、筋肉が付くといったものは古くからの定番です。しかも見た目が変わることが自己改革という趣旨の宣伝も、今と変わりません。また運勢が変わり異性の注目度が上がるというペンダント類も、手を変え品を変えて存続しています。いずれも「独りで誰にも知られず」「異性にモテる」がキーワードで、これも今と昔も変わりませんね。

広告を他にも抽出してみましょう。時代を一気に遡って戦時中へ。昭和19年の「家の光、2月號(号)」から、裏表紙の広告から引用してみます。時期は戦争末期。いよいよ戦局もせっぱつまってきた頃です。
『一機でも夛(多)く飛行機を。一枚でも夛く國債を』なるほど、切迫した感じが伝わります。
さらに、もうちょっと時間を遡って昭和13年少女倶樂部(クラブ)から。
『銃後の少女にふさはしい手藝とあみもの。うれしい樂(楽)しいお正月、お正月には美しく面白くためになる講談社の繪(絵)本を讀(読)みませう』
とあり、お正月を楽しむ余裕が見て取れます。
お正月といえば昭和30年代をテーマにした漫画、西岸良平著「三丁目の夕日」小学館でも一大イベントとして描いていますし、サザエさんでも家族を挙げてのお祝い事として描いています。こうしてみますと、昔からお正月は一大イベントであり、また少女倶樂部の広告から、戦時中もそれは変わらなかったのだと想像できます。
なお、銃後とは現在、あまり使わない言葉と思います。戦争において敵と対峙している前線に対し、その後方を指します。ここでは直接戦争に参加していない国民を指していると思います。
その3)
さて、今度は戦後に目を移し昭和20年代の週刊誌の広告から大雑把に昭和20年代の印象を拾い集めてみます。
下山国鉄総裁の怪死、ソ連抑留記等が大きな話題となっていた頃です。
戦後の混乱は収まっても、まだまだ物品は豊富ではなかった様です。例えば、空き巣が狙うものが蒲団で、さらに場合によっては窓ガラスやトタン板を狙った様です。そんなものでもわざわざ盗むくらい貴重だったのですね。
では広告から拾い集めてみましょう。
昭和24年のサンデー毎日の広告から特に目立つものをピックアップ。
『山之内サンシーゼリー、避妊にはゼリー剤を、一姫二太郎三サンシー』
『受胎調整 サンシン・ダッチ・ペッサリー、確実な避妊、三信株式会社』
『産制、日本薬品化成株式会社、避妊薬コントラン』
こういった避妊の広告が非常に多く登場しています。
これから当時を探ってみます。戦争が昭和20年に終結するまでは「産めよ殖やせよ」として、女性は産めば産むほど美徳だったのですが、戦争が終わってからは「産児制限」が流行となった様です。これを昭和21年「文藝春秋」菊池寛の文章から引用します。
『自分は、知る人ぞ知る、昔からの産児制限論者である。貧しき人たちの困窮も、よってある程度救われると思う。』
こうして女性を埋めよ増やせよから開放し、産むのであれば女性を主体とした計画で、と社会の動きが変わったのです。これに対応した商品が出来て、広告に登場している事がわかります。

というわけで、広告に注目して当時を想像してみました。
広告は紹介したい商品と併せてその商品の売り方が判ります。つまり社会に消費を誘発させるため、どういう手法を社会へ訴えようとしているか、そこにその時代や世相を感じるのです。
その4)
さて前回の、古い広告から当時の世相を考える続きとしまして、では、以下のAとBの2つの商品があったとして、貴方はどちらの商品を選ぶか、ちょっと選択してみてください。
まずはマーガリンから。
[A:植物性高級人造バター、東京化学株式会社]
[B:天然素材バター、田舎自然株式会社]
今度はサラダ油で、同じくどちらの広告の商品を選びますか。
[A:今日、貴方はカロリーを充分取りましたか?足りないカロリーはサラダ油で取りましょう] 
[B:コレステロールを低減、カロリー半分のオイルをお夕食に]
さて、マーガリン、サラダ油、それぞれBを選んだ方は結構おられるのではないでしょうか。私もそうで、やはり少しでも天然に近く、カロリー過多にならない食べ物を選びたい心理があります。
実は、Aはそれぞれ昭和26年の雑誌広告から引用、Bはそれぞれ昨今に見かけた商品広告をベースに加筆引用しました。つまり、昭和26年当時は、食品に化学の恩恵を期待し、そしてカロリーをより多く摂取できることを商品の売りとしています。
同じく26年の雪印バターの広告は『新鮮な風味と豊富な栄養で美味しいお料理』とあり、やはり栄養豊富を謳っています。また、人造や化学といった文言を食品に用いる感覚も、現在と逆です。なんらかの化学物質を当たり前に食品に使っている今日は、やたらと天然を売りにしているのだともいえます。その一方で、昭和20年代は化学への期待がうかがえ、これが飽食の今日と逆である点は面白いものです。
では先の広告を以下に書き写します。掲載は昭和26年「主婦の友8月号附録」です。
『植物性高級人造バター、タマゴマーガリン、東京化学株式会社』
『日清サラダ油、今日、貴方はカロリーを充分取りましたか?』
この広告の昭和26年といえば、戦争が終わって6年。
戦後の復興で、市民生活が取り戻せた頃で、また飢えへの不安からなんとか脱しようとした頃です。ただ、まだまだ復興の最中でもあります。例えば米軍による大空襲で大勢の市民虐殺があった福岡で、家を建てようと整地すると瓦礫にまじって空襲の犠牲者の骨がひょっこり出てくることがあったとか。※
ちなみに人造バターは、昭和27年にマーガリンのみが商品名となったとする資料もあります。そうしますと、先の広告は人造バターとマーガリンを併記する最後の年かもしれませんね。
人造バターという呼び名もこの頃に特有の呼び方かもしれません。戦前は代用バターの記述もあります。戦時中から多量にマーガリンを消費したドイツでも「代用」バターと呼んでいたようです。またタマゴマーガリンというのも面白い名称です。もともとマーガリンの原料は油脂ですが、なぜかここではタマゴが引き合いに出てきています。調べた範囲でも、材料に卵を用いた製法は見つかりませんでした。これは、もしかすると「タマゴ」は修飾語の様な使い方ではないかと想像します。
(※聞いた話で、黒い灰の中から子供の骨のかけらが出てきたとか。戦時中にそこの家に居た方は生死不明で、親族もわからず、無縁仏となったそうです。)
その5)
今日では卵はごくありふれた食材です。まずなんといっても安価です。そして多量に消費されています。実は日本での卵の消費量は世界第二位なんだそうです。日本での年間の一人当たりは約308個、1日に1個弱ですね。それにしても、大きなオムレツやベーコンエッグを習慣的に食べるアメリカよりも日本が多いとは驚きです。
ちなみに一位はイスラエルで年間一人当たり340個。一日1個は食べている計算です。イスラエル料理は全く知らないのですが、私としてはご飯に生卵をかける日本ならではの食べ方がもっとも美味しそうに思えたりします。
さて、日本における卵消費を支えている生産は、とても大規模です。地元にもそこらの工場よりも大きな建物が何棟も並んでおり、その中でぎっしりと鶏が飼われています。まさに卵工場です。
では昭和20年代に話を戻しましょう。当時の卵は今とは比べ物にならないくらい貴重品です。当時の漫画にも、庭で飼っている鶏の卵を通りすがりの人に売って小遣い稼ぎをする場面があるほど、卵は貴重だったのです(長谷川町子著「似たもの一家」昭和24年3月〜10月まで週刊アサヒに連載)
となると、これほどの貴重品を代用バターであるマーガリンに使用したとは考えにくく思われます。また先にも述べましたように、調べた範囲のマーガリン製法では卵を材料に用いる例は確認出来ませんでした。
これらから「タマゴマーガリン」のタマゴは「タマゴの様な」という形容ではないかと考えます。
商品名にタマゴを修飾語の様に使うのは、その当時の卵の貴重さからもあり得ると思います。それにマーガリンという名称も、元々はギリシャ語の真珠から捩った(もじった)とか。本物のバターでないだけに、あれこれ言葉で修飾したい心情かな、なんて考えたりしています。
それにしても、卵一つとっても昭和29年まで欠食児童(貧困などの為に食事を取れない子供)が漫画に登場していた時代と、児童で既に飽食で成人病の前兆がある今日との大きな差を感じるのです。
 
というわけで、これからも読書感想文もどきとして、書籍類から連想した事をあれこれ書いて参りたいと思います。





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