このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




詳細
    


戦艦三笠館内
ではあちこち歩き回って見ます。

戦艦三笠は、今日の展示艦の姿になるまでには大変な復元作業が行われました。
また、この復元のパーツ集めにも大変な苦心があったようです。
その復元にあたり、日本で昭和35年に解体されたチリ海軍の戦艦アルミランテ・ラトーレのパーツも用いられたとのことです。
「世界の艦船」によりますと、解体後回収された艤装品の一部を復元に利用して欲しいというチリ政府の希望もあり、三笠保存会に寄贈されたそうです。
例えば、甲板周囲の復元と公開時の安全確保の為に手すりが必要となり、寄贈品の中にあった手すり柱を活用しています。ですので、三笠オリジナルでなくても、手すりはちゃんと海軍由来のものです。また、後部の舷側外板舷窓もチリ軍艦のものが活用されたそうです。
また、戦艦アルミランテ・ラトーレ解体が昭和35年3月末に終了、一方で戦艦三笠復元工事が昭和36年終了ですので、タイミングもぴったりです。

写真撮影場所は船体中ほど、煙突のある甲板右舷で、正面上が艦橋です。上に手すりが見えます。
右のドアが副砲の戦闘室です。

戦艦三笠船体中央
ボートが載せられている甲板です。右側にはボートが載せてあります。
また柱が水平に並んでいますが、かつてはこの上にも小型舟艇が搭載されていました。

戦艦三笠船体中央を見下ろす。
艦橋横サーチライトが搭載されている付近から、船体中央を見てみます。

手前、平らな部分はボートデッキですが、こちらは平らなままで、ボートは左舷のみ載せられています。またボートは省略されていますが、ボートをぶら下げる湾曲した支柱が見えます。

またかつてはここにも速射砲があったのですが、その名残は見出せませんでした。もしかすると、この甲板自体、作り直されたものか、とも思いました。
入り口を赤く塗った煙突状の空気取り入れ口が4個2列にずらりと並んでいます。
煙突手前、板張りの床が見えますが、かつてはボート甲板との間にもボートを載せていた様です。

真っ赤に塗られた空気取り入れ口が印象的です。

艦橋測距儀
艦橋に測距儀が設置されています。
日本海海戦当時に使用されたものは既になく、ここにありますのは戦後に設置したものだそうです。
これは旧軍で使用したものを移設したとのことです。ですので、時代こそ違いますが、日本海軍のものが展示されているわけです。展示品はすでに機能しませんが、接眼レンズを見ますと、遠景がみえました。

クローズアップです。
中央に接眼部があり、その下に操作スイッチなどがあります。
左下に、同じく戦後に移設されたサーチライトが見えます。このサーチライトは戦後に護衛艦から移設されたものだそうです。

覗いてみました。写真には、上手くは写りませんでした。
皆様も訪問の際には覗いてみるのも面白いかと思います。複雑な光学機器の様ですが、意外なくらい明るく見えました。

羅針盤
環境にあります羅針盤を、これもいずれかの船からの移設でしょう。
がっしりとした筐体に収められており、波浪に耐える艦橋ならではの雰囲気です。

戦艦三笠マスト
三笠には、前後艦橋そばにマストがあります。
写真はそのうちの前側マストを見ています。
マストには登りはしごがついています。そして途中には人が入る場所があり、見張り台です。見晴らしはよさそうですが、どうみてもビルの7〜8階はありそうです。
向かって左にZ旗が見えます。
手前は、煙突で、煙突のてっぺんにはかご状の柵が設けられています。

窓 
窓をクローズアップしてみました。
ひとつひとつにひさしがついています。

三笠の見学は、左後ろから甲板へ繋がる階段が入り口と出口になっています。
階段を上がった見学者入り口にありましたレトルトの海軍カレーの販売スタンドです。なかなか美味でした。また、海軍伝統に則り、金曜に頂きました。

三笠の展示艦の詳細につきましては、90式改様、おばけ様、南国様に情報を頂戴いたしました。
ありがとうございました。

場所は こちらをクリック
横須賀中央駅から歩いても行けますが、交通機関を使われる方が楽でしょう。

今回、見てまいりました戦艦三笠ですが、かつては連合軍GHQの将校倶楽部にダンスホール、バーや水族館が設けられていたそうです。そうした経緯を経ておりますので、骨組み、外装以外はレプリカや移設したものとなっております。
しかし展示艦として戦艦の存在感を充分にかもしだしていると感じます。
皆様も、機会を持ちましてご覧頂きます事をお勧め致します。

また、三笠の雄姿を見学された方々の多くが、今日この様に復活できた姿を見るにつけ、戦後、三笠保存に尽力した米海軍提督ニミッツに感謝をされているかと存じます。
ニミッツ提督といえば、アメリカ・連合軍に大きく貢献した人物でもあります。
また、三笠保存にあたってのメッセージとして
「この有名艦な戦艦三笠−貴国最大の海軍士官である東郷提督の旗艦−を復旧するために拠金された愛国的な日本人の皆様へ。その大尊敬者である弟子より心からの祝福をこめて」
という言葉が残っています。

ただ、私としましては、かつて南方で婦女子の乗った貨客船を沈め、学童疎開船を襲撃して沈め、空襲と共に多量の機銃弾を町や村に降らせた経緯などを考えますと、素直に感謝できる心情になれないのも正直なところです。また、これら保存にあたっては、勝者の余裕とも感じられます。
しかし、戦後のソ連など共産主義勢力の拡大と、その最前線が日本などアジアであったことが視野にあった軍人が、かつてロシアの南下を阻止した歴史に感慨を持つのは自然なことなのかもしれません。そして、日本という他国であっても、その国の歴史を尊重する意思がアメリカにあった点、この事は認めたいと思います。


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