このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




万田坑

在りし日の万田坑(いただきもの) 
極めて状態が悪くシルエットしか判別できませんが、掲載にあたり管理人にて補正しております。
手前に線路があり、石炭を運搬していると思われる貨車も見えます。またそれを牽引しているのは20トン車と思われます。
現存している第二縦坑櫓、右側に、現在は基部のみのこる第一縦坑櫓が見えます。
また煙突が4本確認されます。
汽罐(蒸気機関)は2カ所あり、それぞれ2本の煙突を持っていました。

現存する2号櫓です。
背景には市街地が見えます。
鉄筋の縦坑の右にある煉瓦の建物内にワイヤーの巻き上げ機が収められています。

別の角度から。煉瓦の構造物は実に優美なデザインです。

第一縦坑櫓は、残念ながら昭和28年に撤去されてしまいました。
しかし、万田博物館に模型としてジオラマで再現されています。
縦坑の右側に搬出されるトロッコが配置してあります。

坑道もジオラマ再現してあります。
模型を通じ、万田坑をはじめとする大牟田の炭鉱が、如何に効率よく大量の石炭産出を可能にしたかが判る様になっています。
地下の炭層から掘り出された石炭は、トロッコにひかれ地下鉄道を運ばれて来て、縦坑で地上へ運び出されます。
そして三池鉄道の貨車へ積み直されて運び出される様が、ジオラマ再現されています。
さて万田博物館の位置はこちら。駐車場も有ります。
また入場無料で、さらに炭鉱労働の経験を持つ学芸員による実体験付きの丁寧な解説も、こちらならではの大変得難いものです。是非、皆様もおいで下さい。
尚、展示物の中には写真家が撮影された坑内風景や四山縦坑の絵画もあり、これの複写は出来ません。著作物対象となるからです。よって、撮影を希望される方は、学芸員へ撮影の可否を含めて許可を申請されます様、お願いいたします。勿論、当HPに掲載の物は万田博物館所有のもので、撮影の許可を頂戴した物です。

敷地内のトロッコ軌道上をまたぐレール型のクレーン。
背景に縦坑櫓が見えます。
このクレーンは左にある木造の建物と連結しています。この建物は職場と呼ばれ、各種機械類が収められています。このクレーンは、修理・整備のためにトロッコ等を抱え上げて建物へ運んでいたのではないでしょうか。

汽罐(蒸気機関)後に残る煙突の基部。
かつて蒸気機関で運用されていたときの大きな煙突の基部です。
万田坑では電化が進むにあたり、こうした蒸気汽罐は不要となりましたが、直ぐ側に並ぶ炭鉱住宅街へ暖房として供給を続けたとのことです。imgman06

(いただきもの)
参考としまして同世代の煙突を掲載します。
これは田川市の炭鉱での撮影で、昭和30年代初頭とのことです。
真っ黒い煙がもうもうと吐かれ、遠くでその煙が広がりながら地上へ降っていることがわかります。煙に多量の煤と灰が混じっている様です。炭鉱節に、月もけむたかろうと歌われたのはこの田川の煙突ですが、何処の炭鉱の汽罐煙突ももうもうと煤煙を吐き出していたのだそうです。

もうひとつ、同世代の煙突で、現存する物を掲載します。これは宮浦坑のもので、万田坑のものではありませんが、参考として掲載いたします。
背景に現在の三池化学の煙突も見えます。白く短い排気の煙が見えます。
産業活動と環境への負荷というのは一見相対するものではあります。が、背景に見えるこの白い排気は三池が出したその環境負荷への解答とも言えます。

縦坑からみちびかれるトロッコ起動の出口と、周辺施設。

滑車のクローズアップ。
巨大な滑車の牽引により、一回にトロッコ3台分(0.75t)の石炭を運び出せたそうです。
手前の梯子段と比べても、如何に大がかりな物であったかがおわかり頂けるかと思います。
ここ万田坑では第一縦坑、第二縦坑あわせて一日あたり2千トン以上もの石炭を地下から運び出しました。といっても、現存する第二縦坑は主に資材と人員が担当だったとのことで、この産出はほぼ第一縦坑が担っていたとも言えます。
それにしても、ちょっと我々の感覚では想像のつかない、相当な量です。まさに泉のような勢いで石炭が産出されていたんですね。


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