このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




三川坑跡地

1940年・昭和15年に開坑しました2本の斜坑と東洋一の選炭場を持つ戦
後の最主力坑で、1997年・平成9年に閉坑。
(大牟田市石炭産業科学館パンフレットより引用)
隣接する三井港倶楽部も、並行掲載。

三川坑跡地
かつて三川坑があったところです。
今はがらんとした空間となっていました。
左下に正面玄関があります。また左上は三池火力発電所です。
建物の基礎が若干のこっており、創業時には建物がぎっしりと並んでいたのが見てとれます。
写真中央右あたりに、大きな選炭場やホッパー、斜坑口があったと思われます。総業当時は海底何百メートルで掘られた石炭がトロッコ列車やベルトコンベアで次々運び出されていたようです。無論、現在は埋められており、名残はありません。またこの付近には安全を祈願する山の神が祀られていたはずですが、これも撤去されているようです。
以下URLに、撤去される前の建物配置が描かれて掲載されています。多くの建物がぎっしりと建っていた事がわかります。
http://www.its-mo.com/emmctl.htm?ENC=0s4E4xPGp% 2BvODWqLAPbFOy6wvlDM0PY%2BQgu4% 2FlrLi78UPIBg1EaSkiCEH7mAEOo9nbz% 2F1sYrzN0VYvCsVmf7QoQO6mV0Zzr4aOldSagxzU% 2FQXmYaUdBoAe4Apzf6eu%2F9&x=182&y=317
こうしてみますと、三池港倶楽部は意外と大きいですね。

三川坑跡地
ホッパーとトロッコ軌道があったと思われる付近。
三池湾に隣接する三川坑は、また巨大ホッパーを持つ積み出しシステムも持っていました。
通常、炭鉱では縦坑がその象徴として見られます。これは周囲から見えることやその大きさへの感慨からかと思います。が、ここ三川坑では例外的に巨大ホッパーがその象徴として捉えられていた様です。
背景は新しく設営された工場で、炭鉱産業とは別物の様です。その屋根の上の遙か遠くに、海底坑道へ空気を送る施設を設置した三池島のシルエットが白く霞んで見えます(画像、水平線にそって真ん中から左にかけての横に細長い影)。この三池島は現在は無人島で、鳥の楽園になっているそうです。

坑外職場棟
坑外職場棟のうちの残りがひとつだけぽつんと残っています。内部の様子は分かりませんが、 四山鉱港沖竪坑 で残っていた建物に似た印象を持ちます。手前には、かつてあった建物の基礎が見えます。

三川坑正面玄関
玄関とその脇の建物は残っていましたが、人気もなく、ひっそりとしていました。
また三川坑は周囲がロックアウトされておりますので、内部の写真は撮影しておりません。

塀の隙間から
場所からみて機械室と呼ばれた建物と思われます。これら若干の建物が残っていますが、それ以外は草ぼうぼうでした。

裏門から(北側から)
先ほどの正門と反対の北側からみたもの。
四角の建物の手前にトロッコ操車場があったようです。また雨ざらしのトロッコもぽつんと見えます。
軌道などは全て撤去され、当時の様子を伺い知ることは全く出来ません。四角い建物の真ん中遠くに三角の屋根がちらりと見えますのが、三池港倶楽部です。

周辺(炭鉱住宅)
三川坑から数十メートルの所にある炭鉱住宅。板で出来た塀など、時代を感じます。
尚、現在も人が住んでおりますので、正面からの撮影は行っておりません。

周辺その2(鉄筋炭鉱住宅跡)
三川坑から歩いて5分程度の所にある鉄筋住宅です。これは特に炭鉱住宅ではないようですが、工員も住んでおられたとのことです。
写真の物は閉鎖されたもので、また閉鎖された住宅はあちこちにありました。いずれ取り壊されるのではないかと思います。

三池港倶楽部
現在も現役で、洒落たレストランと結婚式場を持ちます。
詳細はこちらをご覧いただいた方が早いですね。
http://www1.ocn.ne.jp/~minatocb/index.html

三池湾倶楽部の庭
三池港倶楽部は緑溢れる綺麗な庭園を持っています。
丁度、披露宴の記念撮影を行うところでした。
新緑の中で新たな人生の旅立ちをする女、それを祝福する女、綺麗に着飾った姿を驚きと羨望で見る少女と、いろんな世代のドラマが展開していました。
今回の当ウェブ頁における一連の三池炭鉱巡りは、跡地のみを抽出して撮影し、掲載しておりますので、あたかも三池のあった街が廃虚だらけの様な印象をもたれた方もおられるかもしれません。
が、言うまでもなく、ご覧の結婚式をはじめ、人々は活気を持って日々の営みを続けておられます点は、宜しくご理解を願います。


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