このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




志免炭鉱縦坑櫓 クローズアップ


志免炭鉱の縦坑櫓のアップです。
窓枠がありますのが、1990年撮影
窓枠がなくなっているのが2003年撮影です。
西側、北側、東側、南側からの撮影順に並べました。

クローズアップをご覧になるにあたり、以下にご注目ください。
→壁で覆われた上部部分は、内部を部屋分けする壁が無く、反対側の窓
が見える事。
→壁で囲われた内部も大きな柱があり、その柱は下からの続きに見える
事。
→窓と窓の間に柱があり、その柱の部分から鉄筋が剥き出しになっている
こと
→窓周囲のセメント剥離には鉄筋が見えない事。

では、志免炭鉱に唯一残る、孤高の縦坑櫓をご覧下さい。


西側から。
こちら側にのみ、大きな開口部があります。開口部には大きな扉状のものがあります。
左側の窓が枠だけになっていますが、斜めに開いています。また、ちょうつがいが上側にある事が判ります。右側窓には、まだガラスが残っています。
左右の柱からはセメントが脱落し、鉄筋が剥き出しになっているのが見えます。

下から西側の出っ張りをのぞく。下に大きく床が開いている事がわかります。また、中が見えますが、柱がやや複雑に見えます。
窓が全て脱落し、また中央の開口部にあった扉も無くなっています。imgshime08

やや離れた位置から望遠で。
柱が3本見えます。また中央の柱の後ろに斜めに見えるのは階段と思われます。

同じく開口部を正面から。天井らしきものと横向きの柱と思われるものが見えます。

向かって右下から見上げたところ。
天井(上の階の床)と、そこにパイプ状の物が見えます。またその先に棒状のものがぶら下がって見ます。恐らく、棒状のものは電灯とその基部、そしてその配線を収めた筒と思われます。
また扉があった部分の上側にちょうつがいが見えます。またこれが青っぽく見え、これが緑錆だとすると鉄以外の素材で出来ている様です。そしてこのちょうつがいの向きから、扉状のものは内側へ開いていたものと考えられます。そうしますと、柱に4っつほど棒状のものが横へ出ていますが、これは扉が柱へぶつからないためのストッパーなのかな、と想像しています。
それにしても、この高さまでツタが伸びており、その生命力には驚きです。

窓クローズアップ。鉄筋が柱の部分だけにあり、また窓の周辺はセメントが剥げても鉄筋が見えていません。

縦坑櫓の基部です。向かって右側から左側へトロッコ軌道が通っていました。

北側から見上げたところ。飛び出している部分は階段の様です。また屋上まで続いています。
セメントの表面がボロボロになっているのがわかるかと思います。
また等間隔に突起が下から上へ並んでいますが、これは避雷針の電気を流す電線の碍子です。
90年当時は碍子と電線が残っていましたが、現在は碍子の基部と思われる鉄の棒状のものだけしか残っていません。

壁のクローズアップ。
表面には、横向きの筋がいくつもあり、もしかするとセメントを固めた枠の跡かもしれません。
右側窓の壁が脱落しています。またこの脱落した部分からは鉄筋が全く見えません。

ボタ山に登って北側から撮影。縦坑櫓の東側にも出っ張りがあり、これは西側のでっぱりよりちいさいものです。

屋上へ繋がる階段の屋根には避雷針が設けてあります。またその電気を逃がすための碍子もあります。壁に白い突起が見え、これが碍子です。等間隔で下まで延びでいます。

東側約1キロから、夕日の志免炭鉱縦坑櫓を見てみます。
反対側の空の明かりが見え、部屋を仕切る壁が無いことが推定できます。
また、右側に出ている階段は屋上まで延びており、また屋上にはひさしと思われる水平の突起が見えます。

東側から。写真はワイヤーが降りていたと思われる床の四角い開口部から西側の窓を見ています。
底の部分と、下側の横の柱は、いずれも直接風雨を浴びるところではありません。だから、というわけではないのでしょうが、外に面しているところに比べると、さほど真っ赤に錆びているふうにも見えません(光の加減もあるかもしれませんが)。
底の開口部の周辺は、写真でみて横に並行のひび割れ(柱に対して垂直)が多い事が判ります。これは、外に面している壁の表面の剥がれとは形が違います。
これは想像ですが、ここの部分は大きなワイヤー巻上げ動力装置が収まり、また幾度となく石炭を引き揚げた過重がかかる部分ですから、柱に対して曲がる方向の力が加わり、そのため柱に垂直のひび割れがいくつも生じたのではないでしょうか。
そして、そのひび割れが進んで剥がれ落ちたとも言えます。
剥離したところの鉄筋は必ずしも真っ直ぐでない事が判ります。これはセメントの剥離の際に曲がった為と考えられますが、もしかすると、もともと真っ直ぐではなく、建設時から、やや適当に組み合わせただけかかもしれませんね。

南側の壁のクローズアップです。柱の部分の鉄筋が見えます。またその右側のしみは、雨水が垂れたものの様です。

南側基部。こちら側のみひさしがついています。が、ここもボロボロになっており、崩れてしまいそうです。ツタがあちこちを這いまわっています。

屋上へ繋がる階段の南側は、下からは死角で見えません。
そこで、約1キロ西から撮影し、解析してみました。
二つほど窓上のものが見えますが、北側(向かって左)の窓から見える階段の形から、手前が階段の出口、右が明り取りの窓と思われます。
また、ひさしがかろうじて判別できます。が、このひさしは、階段でも明り取りの窓でもなく、向かって右端についている様に見えます。
また、そこにくっきりと陰が見えます。
私の想像ですが、ここには電灯がついていたのではないでしょうか。

同じく南側の、まだ窓がある頃の撮影。
ガラスが砕けており、風雨によるものではと想像します。また外れた窓からは反対側が見え、中に壁が無い事が分かります。
また一番左の窓列の右隣に、縦に通っているのは樋ですが、すでに壊れていて、雨水は壁を伝ってしみを作っています。


志免炭坑目次へ戻る

→廃虚近代遺跡目次へ戻る

→みに・ミーの部屋に戻る




このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください