このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




川棚海軍工廠 石木疎開工場

トンネル規模(平均):
高さ3.2メートル、幅4.0メートル、奥行き47メートル
トンネルは、奥で連結。
各トンネルは、片側に工作機械を並べ航空魚雷を製作したそうです。
(川棚町資料館での確認事項を元に編集)




川棚海軍工廠総本部の入り口前から、地下工場のある方向を見ます。
撮影は南西の方角へ向いています。

疎開工場が設けられた石木は東西に伸びる盆地です。
西側が開けていて川棚川、そして川棚駅方面へ繋がります。
周囲は田んぼと石切り場があります。 
写真では判りにくいのですが、向こう側者面の中央あたりは石切り場です。 
中央にちらりと見えます川は石木川で、向かって右(西側)へ流れ、川棚川とつながります。

石木の盆地の南側斜面に、ご覧の用にひょっこりと工場入り口が開いています。
道路の直ぐ側です。
当時は20ほどのトンネルが設営されていたそうですが、現存は16との事です。
恐らく、戦後に石切り場が稼動した際に取り壊されたのではないかと考えます。
また現存する16のトンネルにつきましても、土砂で埋まる、木で覆われる、水たまりになっている、ゴミで埋まっている、家が建っているなどしており、現存しますもの全てを見学する事は困難です。 

縦長の工場です。
また、入り口ですが、扉や蝶つがいなどの痕跡はありませんでした。
しかしながら防空灯火管制のため、何らかの扉があったものと考えます。

自動車もゆったり入る事の出来る広さです。
奥までセメント張りの平らな床となっています。 

最も深い部分は、横で繋がっていたとの事ですが、入る事の出来たトンネル工場では、その繋がりは確認しておりません。
今回、未確認のものの中に横同士の繋がりが残っているものもあるかと期待いたします。

これも入り口付近が土砂で埋まり、また水が溜っていました。

これは完全に入り口がふさがっております。
他にも完全に埋もれてしまったものもあるかと思われます。

工場は8時間ずつの3交代制で、機会は24時間休み無く稼働、またここでは専門工員は少なくて、女史挺身隊や動員学徒男女や国民学校高等科生も働いたそうです。
工場は下百津にありました(川棚防空監視所を参照)。そして空襲を避けるために、この地域に疎開したそうです。 

工場のあります石木の場所は、こちらをご参照ください。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=25000&el=129%2F52%2F26.487&pnf=1&size=500%2C500&nl= 33%2F04%2F37.681
また川棚海軍工廠総本部跡の頁にも示しておりますのでご参照ください。
ちなみに航空写真を閲覧できますサイト http://www.ikutoko.com/
でこちらの石木を表示させましたが、空からの写真でこれらトンネル郡を見出すことは不可能でした。


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