| 最も奥から入り口方向を見てみます。
綺麗に整形されたセメントで出来ています。
魚雷の工場は下百津(川棚駅の南側)にありました。が、敵の空襲を避けるため、北に直線で約2キロのこの地域に疎開し、防空のトンネル工場としたものです(下百津から北に直線で約2キロ)。
丁寧な工作のトンネルであり、魚雷の生産が如何に重要であったかがうかがえます。 |
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| こちらは先ほどのトンネルとは別のトンネルの最深部です。平均で四十数メートルあるそうですが、最深部にたどりつくまでは、随分と長く歩く気がします。凹凸の無いトンネルですので、距離感がつかめないのかもしれません。
こちらのトンネルは、奥の部分の天井をやや低く作っています。明かりはほとんど無いのですが、フラッシュのお陰でなんとか写りました。
隣同士を繋いでいたとされる横方向のトンネルですが、廃タイヤが積み上げてあり、確認できませんでした。
天井など詳細を観察しましたが、電気類の配線を取り付けたと思われる痕跡、電灯の跡などは見出せませんでした。床にも機械類の痕跡を見出せませんでした。また、当時のものと思われる物品も、残っていませんでした。 |
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| さらに別のトンネル。こちらは入り口が門の様にやや狭く形成されています。
さて魚雷という当時の最先端の技術を持つ精密で複雑な機構と、さらに爆薬が一体となった兵器を作るにあたり、トンネル内で作業するには大変な苦労があったと思われます。
航空魚雷は、例えば91式航空魚雷改2ですと、直径 45.0cm 長さ、5.47m、重量は838kgにもなります(艦艇から発射するものは、7〜9メートルの長さをもつもっと大きなものとなります)。
実際にトンネルに入ってみた印象では一応、そうした長大な兵器でも扱える広さであろうと感じましたが、やはり広さの点での苦労はあったのではないか、とも想像しました。 |
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| さて、最も東側にありますトンネルですが、入り口付近は壊れている様です。 |
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| さらに内部。
ご覧の様に、入り口付近はセメントがありますが、奥は岩肌が剥き出しです。また壁が剥がれて下に溜まっています。
これは、想像ですが、作りかけのトンネルだと思われます。
東西に伸び、西側が駅や役所に近く、東側は山になっています。
よって、より交通の要所に近い西側からトンネルを製作したと仮定しました場合、東の端にありますトンネルは、最後に着手されたと考えられます。
また、最新の機器を詰め込んで製作されます魚雷が、こうした何時落ちてくるかわからない岩肌の側で作業したとは考えにくく思われます。
壁には、配線などの跡は見出せませんでした。 |
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| さて、以上紹介して参りましたが、お車で見学される際は、手前の道があまり広くありません事から、地元車両の交通に配慮いただきます様、宜しくお願いいたします。 |
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