| 正義の思想の例として毛沢東を挙げて見ましょう。
毛沢東の思想は、あれだけ広い国を一気にひとつの国にまとめ上げた、20世紀で最も意義深い思想だと位置付けられるのだそうです(と小学校で習いました)。
ではこの毛思想さえ身に付ければ、そこから正しい行動が生まれるものでしょうか。
カンボジアの元首相、ポルポトは1965年頃に文化大革命が始まろうとしていた中国に招かれました。そこで、農村を重視した毛沢東の社会主義政策を身に付けたとされます。首相となったポルポトは、かねて考えていた祖国の農村共産主義化を急速に進めました。ポルポト派による病人・子供を含めたブノンペン市民の強制的追放、通貨廃止、市場廃止、企業廃止、休日廃止。そして人々には農作業や土木工事に朝から晩まで従事させたのです。
その改革の中で、敵として位置付けられた人は弾圧を受けました。ここで敵とみなされたのは知識階級という定義に当てはまる人々でしたが、眼鏡をかけているだけで知識人とされ、処刑された人もいたそうです。とうとうポルポトは自国民の四分の一を殺害しました。そのすさまじさは、現在でも国民の約3割がPTSD(心的外傷性ストレス症候群)とされるほどだとか。さらに山と詰まれた肉親らの遺体に精神的ショックを受け、盲目になった人までいたそうです(後に明らかになってからの報道からですが)。
ところでポルポトがその革命を進めていたとき、日本ではその社会改革をもてはやしていたのだそうです。「搾取のない農村経済のもと、みんなが正しい意味で働きながら、まず自給を確立しようと赤色クメールが考えたとしても、まことに自然なことではないか。合衆国の退廃文化(帝国主義文化)でダラクさせられた都市の人々も、それによって健全なものに立ちなおるだろう」 (本多 勝一著『貧困なる精神第3集』すずさわ書店、1975年刊/引用は191〜200ページから。尚、第8刷以降に削除。)
当時の報道もポルポト礼賛一辺倒で、そのため、社会主義革命を志向する人に対してポルポトへの疑問はおろか質問をしただけで、「毛思想を否定した」「毛同志を馬鹿にした」と、非常に感情的になったのだそうです。しかし、この間違いはすでに皆さんはお分かりでしょう。疑問を呈した人は、毛思想が正しいかどうかではなく、その思想を身に付けた人がとった行動の結果を問うているわけです。
性に関する正義についても、やはり同じ事が起きていないでしょうか。
性の正義を信じる人に質問を投げかけると、いきなり感情的となってしまう例をインターネット掲示板でよく見かけます。これも毛思想を信奉する人と同じ反応だと言えます。つまり、つまり正義に基づく行動の結果は正しいのか、という質問に対し、性の正義そのものが否定されたと反応しているのです。今後、性の正義に対する疑問の声はますます高まっていくと考えます。それに伴い、皆様もあれこれと疑問を感じたり考えさせられたり、という機会も増えていくのではないかと思います。
本稿が皆様に少しでも參考になれば幸いです。 |
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