このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

院内歴史の里 院内油田跡地
                       国内最大規模を誇る油田開発
 明治維新以降、日本近代化を目指し急速に開発が進められたのが石油産業です。その中でも、院内・小国・上小国・半沢の一部の
 エリアに分布する院内油田は国内最大規模を誇ります。

 旧院内村の東方には、字を「臭津(くそうず)」という丘陵地帯があり、古くから石油の露頭でした。アメリカ合衆国の地質学
 者ベンジャミン・S・ライマンは明治5(1872)年から日本政府に招聘され、各地域で鉱物資源調査に従事していましたが、院内
 村の露頭を調査した結果、極めて良好な油層を発見し、大正11(1922)年に大日本石油鉱業(株)が上小国地区で試掘し、大正
 12(1923)年には第1号井が深度110〜425mの範囲で、日産約5klの機械採油に成功し、大正14(1925)年には日本石油(株)
 旭石油(株)などが相次いで院内の試掘に取り組み、院内油田の開発が活発化していきました。

 昭和3(1928)年には日本石油(株)が「綱式1号井」を用いて深度646mで8klの出油をみました。昭和6(1931)年には平
 沢に製油所を建設し、昭和15(1940)年頃には年産11万klに達し、油田開発は最盛期を迎えました。

 昭和17(1942)年には戦時と区別措置により、大日本石油(株)、旭石油(株)、中野興業(株)、日本石油(株)が合併して
 帝国石油(株)が誕生しました。以後、徐々に産油量が減少し、昭和63(1988)年には秋田石油鉱業(株)に経営権が移行し、
 平成7(1995)年に閉山となりました。

 ※院内油田は、秋田に残る3つの油田の中では最高の産油量(日産19kl)を誇る現在企業であると同時に秋田の近代化を語るに
 は避けて通れない油田の最盛期を最も偲ばせてくれる重要な歴史遺産でもあります。
 平成22年2月 にかほ市
なんと、院内油田では平成の時代まで石油が産出されていたのか!
油田は平成7(1995)年に閉山となり、
帝国石油は秋田石油鉱業に代わって現在は天然ガスを産出しているんですね。
う〜ん、林道探索の前に立ち寄っただけなのに勉強になるぜぇ・・・。

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