このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

堅破山の名勝

烏帽子岩
八幡太郎義家が堅破山の神霊に参拝したときにかぶっていた烏帽子に似ていたことから名付けられた。

畳石
八幡太郎義家が腰を下ろして休んだところから、腰掛け畳石と呼ばれた。
また、堅破山で修行中の修験者が座禅をした石ともいわれている。

太刀割石
八幡太郎義家が、陸奥の蝦夷の乱を鎮めるため、堅破山に登り戦勝祈願した折り、大石の前庭に陣を引いて野宿した。
義家は深い眠りの中で「黒坂命」と出会い、目が覚めると、一振りの黄金づくりの刀があった。
その刀を振り下ろすと大石は、びしっびしっと不気味な音を発し真っ二つに割れた。
一説にはこのことにより、「堅破」の名が起こったともされている。
大きさは7m×6m、周囲約20m

神楽石
「堅破山絵図」(元禄4年・1691)では「まいまい石」といわれていた。
堅破山の神霊が浜降りの時、折橋の氏子に神輿をここで渡し、一休みをしながら、お神楽を奏し、神楽舞をしたといわれている。

甲石
「堅破和光石」といって、薬師如来が隠されている石として信仰され正面に石をくりぬいた祠があり、
その中に薬師如来の12神将像(現在は6体)が祀られている。
「堅破山」の名に由来した石である。

舟石
舟形をしていることから名付けられた。

胎内石
黒坂命が陸奥遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、
あまりにも疲労した様子の命を見て、その馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に命を休ませたといわれている。

弁天池
水源は池の上台に繁茂するブナの原生林といわれ、標高5百メートルの高所に湧き出た水とされている。
池の側には弁天社が祀ってある。

仁王門
門前には、仁王様の姿がなくて左大臣の木造があります。
これは、仏教を抑圧する「廃仏毀釋」の中にあって仁王様を守ろう、後ろに隠して密閉し、表には右大臣、左大臣の木像を安置して、
随神門と名を変え、門前に石の鳥居を建てて神社形式にするという苦肉の策できりぬけ、現存しています。
普通の仁王様は眼のふちだけ僅かに赤みを残して、あとは御影石の地肌のままの姿でたっている。

う〜ん、なるほどねぇ。
「ここは茨城県の明日香村か!」とでもいうほどに石関係が多いな。
パワースポットマニアにはたまらんかもしれませんね。
ちなみに八幡太郎義家さんは鎌倉幕府を開いたあの源頼朝さんのご先祖様ですよ。
平安後期の武将で本名は「源義家」。

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