このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
歴代大河ドラマでは不朽の名作だったと思う『独眼竜政宗』の主人公・伊達政宗公。本州の真ん中に住んでいるももかには、東国武将って余り馴染みがなかったのですが、戦国時代にこんな殿がいたなんて! そのくらいこの方の印象は強烈でございました。 | |
蝋人形製伊達政宗くんです(^^)。 肌の色が本当にリアルで、等身大ですから人間みたいです。 特徴的な三日月の前立ての兜を被り、北斗七星を描いた軍配を掲げた姿は実に堂々としています。 それにしてもこの黒の鎧、かっこいい・・・v v やっぱり伊達さま、センスありすぎ。 この説明書きは幕府の正史における彼の姿を書いたもの。でも全く読めませんね(笑)。 政宗を知る資料としては従弟で伊達家の武勇の代名詞といわれる伊達成実の『成実記』が知られています。 | |
これは若き日の政宗くんです。 彼の初陣は15歳。 うろ覚えですが多分この場面は人取り橋の合戦だったと思います。この合戦は輝パパが畠山義継により亡くなった後に起こったもの。するとこの政宗くんは19歳ですね。 皆んな、殿を守って〜! 「みちのく伊達政宗歴史館」にて激写♪ | |
政宗以降、明治初期まで伊達家の菩提寺だった瑞巌寺。 現在の建物は政宗によって作られたものです。 実のところ政宗は幕府と相対した時、この寺に立てこもり自害するつもりでいたといいます。 つくづく彼って最後まで戦国武将だったのねと思いますよね。日本三景の一つ松島が見える美しい海にも近く、五大堂もすぐ。 | |
仙臺城の伊達政宗騎馬像です。この雄雄しさ、分かります?この美しさ、半端じゃありません。 本来なら「仙臺」の字をあてる仙台城ですが、青葉城の方が馴染み深いですね♪実はここで『青葉城恋唄』を歌いたかったというももかです(^^;)。しかし『青葉城恋唄』はなかったですけど、晩翠の『荒城の月』の碑文がありました。ちなみに歌手さとう宗幸さん演じた仙八先生とは、仙台出身の伊達仙八郎(通称:仙八)の事。政宗の末裔かどうかは不明です。 戦国時代も終わり近くにあえて山城を築いてしまった政宗。天守はなくて、公園となっていますがあの広瀬川を望む事が出来て、本当に浸れます♪この騎馬像は昭和10年に小室達によって作られましたが太平洋戦争により昭和19年に撤収。昭和39年の復元されたものです。 | |
政宗の廟所・瑞凰殿。 この美しさが「伊達」なのですね。 市民からは「御霊屋」と呼ばれ昭和6年に国宝に指定されるも戦災により焼失。昭和54年に再建されました。 晩年の政宗は奉行の奥山大學を従えホトトギスの鳴き声を聞こうと経ヶ峰に登りました。その経ヶ峰の観音堂において、大學に死後はここに葬れと杖をたてて示した場所がここなのです。観音堂を移し、その跡を掘った時、そこが万海上人所縁のものが土中から現れたと伝えられます。万海上人は隻眼だったといわれ政宗はその生まれ変わりだと幼い頃から信じられていました。 その最期もまた伝説的ですね。 |
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