このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

それは、『花の乱』だった。
(京都)

歴代大河ドラマの中で好きなものは多いのですが、その中でもももかは『花の乱』がお気に入り。『花の乱』は、複雑な人間模様と雅でゴージャスで炎と戦乱の「室町」という不可思議な時空を旅したドラマでした。中でも、野村萬斎さま演じる細川勝元さまには感服。

勝元さまは「武者の本分とはただ死ぬこと」と言い切り、‘負けるとわかっている場合でも、命を花になぞらえて死に花を咲かせたいと思い、物狂いして死んでいくのが武者’であり、自分もそうでありたいという人でした。後見している義視こと今出川殿には「同じ穴のムジナ」といわれ、応仁の乱の首謀者の1人でありながらもけじめのない戦に成り果ててしまったと苦悩する。政治家としての鋭い一面も見せれば、人間としての弱い部分も脆さも見せる。義政を主として仰ぐが故に、彼を理解し相談役になろうとし裏切られる。そしてこの世の儚さを知っている。
ちなみに勝元の台詞で一番印象に残っているのが「寺社に火を放つというバチあたりな事を、それがしが出来るとお思いか!」。京都の街を歩く時、よくこの台詞が頭を過ぎります(笑)。

山名持豊。号は宗全。勇猛果敢で豪傑な武将で、その赤ら顔から巷では赤入道と呼ばれた。勝元にとっては舅にあたり、かつ養子に迎えた毘沙王丸の実父でもある。一番近くにいて誰よりも分かりあえる存在なだけに両者が対立した応仁の乱は複雑なものになっていった。乱では義尚を推す富子に荷担し西軍を指揮。
細川右京大夫勝元。演劇・音楽・絵画・書・和歌・天文・医学に秀でた武将で、管領として将軍足利義政の傍らにあったマルチでエリートな大名。食しただけでその産地を当てるほどの美食家としても名高い。応仁の乱では義視を擁立。東軍を率いるものの、その愚挙に愛想をつかして義尚につく。


*竜安寺の石庭*
竜安寺は細川家の菩提寺で、勝元や息子の政元も眠っています。
世継ぎがいなかった将軍義政は僧となっていた弟の義視を還俗させ後継者に迎えようとしました。後見人に推されたのが勝元。石庭を眺め「義視を後継者に据えてやろう」と決意した時から、彼の苦悩は始まります。
やる気のない義政、優柔不断な義視、政治に介入してくる富子、その兄「押し大臣」勝光、そして舅でありながらも敵対する事になってしまった宗全入道。乱の最中に世を捨てる事を決意した勝元が運命の人であるもう1人の富子−森女−と出会うのもここ。そして花の御所の炎上をこの場所で見た勝元は石庭の石の一つと化して眠りにつくのです。


*花の御所の址*

今出川通りにある小さな石碑が、花の御所という美しい名で呼ばれた在りし日の室町第の姿を思い起こさせます。
応仁の乱は将軍家の世継ぎ争いの戦でもありましたが、畠山家・斯波家・細川家の家督争いも複雑に絡みあっていました。勝元の正室は山名宗全の娘でしたが長らく子供がなく、宗全の子・毘沙王丸を養子に迎えました。これでいつでも隠居も出家も庭造りも思いのまま♪という彼に洗脳されたのが御所さまこと将軍義政。隠居宣言・義視との養子縁組発案は勝元の影響だった・・?しかし、妾腹から実子が誕生すると勝元は毘沙王丸を仏門に入れ、その子を後継ぎにすべく期待をかけます。聡明丸、後の政元の誕生でした。

その頃、畠山家ではお家騒動が勃発。家督をめぐって政長と義就が対立していました。勝元は政長につき、宗全は義就を支援。いつしか対立は細川家と山名家との対立にもなっていました。宗全の策略により政長は管領職を解かれ、勝元は不満をあらわにしていましたが、義視の後見人としての立場もあり中立を保つ事に。陣を御霊の森に移した政長は盟友勝元の加勢を待ち続けました。
御霊社合戦は政長を都落ちさせ、戦に加わらなかった勝元は民にも妻にも爪弾きにされてしまいます。そんな彼にエールを送ってくれたのはただ1人、御所さまだけ。しかし、勝元は遂に立つのでした。

*上御霊神社の石碑*

現実逃避した趣味人・義政が作ったお寺はその風貌から銀閣寺と呼ばれるようになりました。残念ながらこの砂壇は後代のものなので、こうした光景を義政本人は見ていないのですが。
荒廃し、未だ終結をみない泥沼のような応仁の乱。和睦を願うのは既に両軍の大将のみで、乱の火の粉は地方にまで飛んでいきます。「余に今少しの才覚があったなら・・・」室町第への帰還、政界復帰を頑なに拒む義政に、勝元は涙するしかありませんでした。

*慈照寺(銀閣)*


*山名宗全屋敷跡*
平安京を焼き尽くした応仁の乱は11年にも及び、両軍の将の死を持って終結したともいわれています。西陣は東軍に対し都の西側に陣をひいたことの名残の地名で、宗全の屋敷があった場所でもあります。路地に溶け込んだ石碑。
祇園祭の頃には宗全の霊が蘇るという言い伝えがあります。



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