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くにざかい
(京都)
西京区大枝沓掛町にも同じ道標がありますが、こちらは西国街道の大山崎町大山崎西谷のもの。都へ入る者、出て行く者がこの道を行き通った事でしょう。近くの小川が摂津と山城の国境だったといい、木曽義仲軍に追われて都落ちをする平家一門もここを通ったのでした。 時に寿永2年(1183)7月の事でした。 |
山崎関戸院に玉の御輿をかき据ゑて男山を伏し拝み、 平大納言時忠卿「南無帰命頂礼八幡大菩薩、君をはじめ参らせて、 我等都へ帰し入れさせ給へ」と祈られけるこそ悲しけれ 各後ろを顧み給へば、霞める空の心地して、煙のみ心細く立ちのぼる。 (平家物語巻七 一門の都落の事) 山崎の関戸院に輿を寄せて男山(岩清水八幡宮)を伏し拝み 平大納言時忠卿が 「南無帰命頂礼八幡大菩薩、主上を始め我らを都へ帰させ給え」と 祈られるのも悲しいものです 各々都の彼方を振り返りなさると、空が霞み、煙ばかりが心細く立ちのぼっているのでした |
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