このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

逃げる弾正を追いかけて
(長野/松代)

武田二十四将の一人高坂弾正昌信は、武田家の終焉を見なければならなかった武将でもありました。例えば信玄の側近であった老将達の多くが長篠で討死という最期を遂げていった中、彼は越後の押さえとして遠く信濃にあった為に、戦いに加わる事が出来ず、ボロボロになって帰ってきた武田軍を迎えるという役目を負ったのです。信玄から手渡された信濃海津城では、彼はかつての武田の輝かしい日々を思い出した事もあったのではないでしょうか。
ちなみに「戦国三弾正」は、高坂の「逃げ弾正」、保科正俊の「槍弾正」、真田幸隆の「攻め弾正」をさします。

ざかりの松代城址です。ここは信州のお花見名所の1つ。
松代城、つまり海津城は高坂弾正のお城でした。
1533年に川中島合戦の折、山本勘介が築城したもので
突貫工事によって約3ヶ月余りで完成

弾正以後、城主は次々に変わって
真田信之が上田から移るに至り真田家の居城となりました。
真田家の時代、その城の中には開かずの扉のような場所がありました。
そこには石田三成の密書が隠されていたのです。
そういうものを保存しておく真田家って一体・・(^^;)。
きっと噂の誓詞(恋文)も密やかに保存してあったに違いない(笑)
平成14年に整備され、土塁などが復元。
この為、現在の様子は大きく変わっています。また行かなくちゃ。

高坂弾正が葬られている明徳寺。この山深き静かなお寺に彼は眠っています。
町外れにあり、一見分かりにくい感もありますが、現在では周辺道路も拡張整備されているようなのでナビで見つける事は可能だと思います。立派な山門ですよね。
蛙合戦として有名なこのお寺には5月初めに蛙が沢山出没(笑)。

高坂弾正のお墓。
彼のお墓は真田の人々によって守られてきました。
因みにこの写真を撮った日は弾正の命日の5月7日。
右側には白薔薇の花束があったりします。これはももかがお参りする前に立ち寄った某漫画家さんが手向けたものなんですよ。この方とは信玄の弟・典厩信繁が眠っている典厩寺でばったりお会いしました。その後、川中島と松本城へGO!楽しかった〜♪しかも2週間後には東京で再会。今でもお付き合いさせて頂いているのですから、弾正の取り持った縁なのでしょうね♪

   HOME 幻想写真館   



































このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください