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オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ嬢
王妃さまとも親しいオスカル嬢が父将軍に内緒で「一生に一度」のドレスを着た折のお姿です。
この頃の貴族は男女問わずコルセットを着用し、体型を整えていました。そして貴婦人達は腰を細く見せ胸元を強調させたのでした。コルセットの名は19世紀にイギリスで使われるようになったもので、当時のフランスでは「コール」「コール・バレネ」「バスキーヌ」などと呼ばれていました。いずれもボディス(胴着)に木や金属・動物の骨などのバスク(はり骨)を入れたもので、特に後者は弾力性がある鯨骨(実際は鯨の髭)を多用に使った物を指します。裏地はキルティングを施した生地で仕立てられ、外側は綿や絹やサテンなどに刺繍などの装飾が施されました。
レイシング(紐締め)は後ろ締めが主流で、常に他人の手が必要とされていました。女中に締めさせる事もあれば、きつく締めたい時は女性の力には限度があった為に男性の手を借りる事もあったのです。当時、貴婦人達は身支度に男性を同席させたり、コルセットをきつく締める折に男性の使用人の手を借りる事は珍しい事でもなく、恥ずかしいとも思っていなかったのです。コルセットの装飾が美しいのは、こうして他人の目にさらされる機会があったからといっても良いでしょう。オスカル嬢の着用しているコルセットは前面中央部にバスクが入り、全体的に細かく鯨髭が縫い込まれています。レイシングは後ろ締めで、力一杯ばあやが締めた為、やや苦しそうな面持ちです。
オスカル嬢が上流階級の身分の常としてコルセットを締めていた事は知られていますが、彼女が使用していたコルセットがどのような形であったのか、そしてレイシングはどうであったかは謎に包まれています。彼女にとって歴史的なこの舞踏会の日、乳母が用意したそれをみて「鎧みたいなコルセット」と形容している事から、今までこのような形のコルセットは着けた事がなかったのでしょう。また、コルセットは個人個人の体型に合わせて作られている為、詳しく採寸をしなければなりませんでした。そして大変な力仕事であった事から男性仕立屋の手で作られる事が殆どでした。オスカル嬢がどうやってこの難問に立ち向かったのか、それもまた謎なのです。
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