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デュ・バリー伯爵夫人
ルイ15世陛下の寵妃デュ・バリー夫人のお姿です。身支度の途中で、コルセットとパニエをお召しになられています。
パニエの登場時期は諸説があって、1700年代の初めにはフランスの舞台女優がパニエ着用し大きく広がったドレス姿で舞台に現れ、嘲笑を買ったという記録が残っています。しかし貴婦人達がドレスをふくらませ、腰を細くみせようとした試みはパニエという形になる以前からあったのです。初め釣鐘形や円錐形だったパニエはその後横広がりの楕円形に発展。そしてドレスが横に広がり始めると前後の張り出しが少なくなりすっきりした形となっていきました。しかし横にまで広がったドレスは、日常生活に不便をきたすようになった為、裾の広がりを持たせつつも軽量でパニエ自体も短いというパニエ・ドゥブルと呼ばれるものが生まれ、瞬く間に貴婦人の間に広まっていったのです。
伯爵夫人は両サイドに分かれたパニエ・ドゥブルをお召しです。綿布に鯨髭のはり骨を入れたこのパニエは紐で胴に取り付けられています。上部の布の部分には口があって、そこに手を入れるとポケットがあります。ポケットは肌着の上に紐で胴に取り付けられています。この後着用するローブのジェップ(下重ねのスカート)にも口が開いていて、貴婦人達はここに手を入れポケットを使用するという訳なのです。ハンドバックがなかった時代、このようなポケットはとても重宝されました。
パニエはフランス革命が起るまで貴婦人達に愛用されますが、革命後はコルセットと共に取り払われ、その復活はウエストの位置が通常の腰の辺りに戻る頃まで待たなくてはなりませんでした。そして再び腰の細さを求めるようになった貴婦人達は、後のクリノリンにそれを発展させるのです。
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