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その歴史
フランス革命下においてフリジア帽は革命の象徴とされました。フリジアとは元々、紀元前800年〜600年代後半に小アジア・アナトリアで栄えたフリギア国(Phrygien)に由来しています。英語読みではフリギア、フランス語読みならフリジアという事になりましょうか。そしてその名を頂いたフリジア帽(=フリジア人の帽子。Phrygian Cap、Bonnet Phrygian)は古代ローマやギリシャで解放奴隷が被っていた赤い縁なし帽子の事で、フランスでは1789年以来自ずから解放・自由の象徴を意味するものとして使用されました。
1790年、ナンシーの駐屯部隊兵員であったシャトーヴューのスイス傭兵が反革命的な上官の汚職を非難して反乱を起こしました。鎮圧にあたったブイエ侯爵の部隊はそれらを捕らえ、約100人にも及ぶ兵員は処刑されたりガリー船送りの処罰を受けました。ガリー船から解放された兵員はこの帽子を被っていたといいます。
不思議な事にロベスピエールを始めとするジャゴバン派はこの帽子の着用には消極的であったようです。1792年8月10日以降、帽子の着用は義務付けられいくつかの地区当局が政治権力の象徴として採用している事が見えます。しかしそんなフリジア帽も民衆運動の退潮と共に衰退していったのです。
古代ローマなどにおけるフリジア帽とフランス革命におけるフリジア帽の形態については同一であるかは分かりません。後述のフリジア帽の素材としては毛織物製であったりします。絵画に見られるものとしては人権宣言(パリのカルナヴァレ博物館)やフランスで自由の象徴として知られるマリアンヌ像(国璽・切手・貨幣にも使用)などをあげる事が出来ます。
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