このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

京都六地蔵

その昔−嘉祥2年(849)の事−小野篁さまは熱病を患った折に意識を失ってしまいました。現(うつつ)か夢か定かでない世界で彼が見たものは、地獄に落ちて苦しんでいる人々の姿とその苦難を救おうとしている一人の僧の姿でした。

僧は自らが地蔵菩薩である事を告げ、篁さまに人々を救おうと六道を巡っている事、その中でも自分と縁がない為に救う事が出来ない人達の事、そしてこの地獄の苦しい様子と地蔵菩薩の事を人々に知ってもらうように話したのでした。蘇った篁さまは木幡山から一本の桜の木を切り出し六体の地蔵菩薩を彫ったといいます。これが京都六地蔵の始まりといわれています。


後に。保元2年(1157)平清盛は後白河法皇の勅命により、西光法師に命じて京都の街道の入口六ヶ所に六角堂を建て、一体ずつ御尊像を分置しました。これが大善寺・上善寺・浄禅寺・桂の地蔵寺・源光寺・徳林庵です。



お釈迦さま入滅後弥勒菩薩か生まれ出ずるとされる五十六億七千万年余りの年月を待つまでの間、無仏の世界にあって六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の衆生のあらゆる願いを聞いてくれるのが地蔵菩薩です。中国では唐代に、そして日本では奈良時代に伝来し、民間を中心として平安時代後期から盛んに信仰されました。京都では毎年8月22・23日の両日にこの六地蔵を巡りお幡を頂く「六地蔵巡り」が行われます。このお幡は玄関先などに吊るし、家内安全無病息災を願うのです。

写真は2011年8月23日の地蔵巡りにて。

「六地蔵」が地名となった大善寺鞍馬口にありひっそりとした佇まい
大善寺(伏見地蔵、木幡地蔵)
旧奈良街道
京都市伏見区桃山西町六地蔵


上善寺(鞍馬口地蔵、深泥池地蔵)
旧鞍馬口街道
京都市北区鞍馬口通り寺町
袈裟御前と遠藤盛遠の悲恋の物語を伝える姉井菩薩とも呼ばれる地蔵を祀る
恋塚浄禅寺(鳥羽地蔵)
旧大阪街道
京都市南区上鳥羽岩ノ本町



地蔵寺(桂地蔵)
旧山陰街道
京都市西京区桂春日町
黒塗りの壁が見事人康親王や蝉丸など隠棲人にも所縁がある地
源光寺(常磐地蔵)
旧周山街道
京都市右京区常盤馬塚町
徳林庵(山科地蔵)
旧東海道
京都市山科区四ノ宮泉水町


HOM 京華万里























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