このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
鹿に乗った姫神
〜御座石神社〜
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御座石神社は建御名方命の母神を祀るお社。 出雲の国と隣接する高志の国から 彼女は諏訪へと旅立った。 ここでは境内の四隅に御柱を建てる事はない。 曳かれてきた柱は鳥居となるのだ。 | 諏訪で「どぶろく祭」といえば此処しかない。 境内には杉の玉を飾ったどぶろく醸造蔵があり、 祭りは春4月27日に行われる。 そして翌日。来たる年の当番が決まり、 準備が始まる。 |
『古事記』によれば、沼河姫命(奴奈川姫)は出雲国と隣接する高志(越)の国の姫神。大国主命と結ばれ建御名方命を生んだとされています。彼女は鹿に乗って息子・建御名方命の住まう諏訪にやってきました。境内には姫神が休息したと伝えられる石があり、そこには鹿の蹄の跡がちょこんと残されています。これが社の名の由来となっている訳ですが、遠い昔には姫神の仮の住まいとされていた事から「御座所宮」「御さい所宮」などと呼ばれていました。高志の国から諏訪へ入るにはいろいろな方法があるものの、沼河姫命に関しては「大門峠を越えて」、と言及しているところが興味深いです。 このお社の他に見ない特徴的なものといえば、諏訪大社所縁の地であるにも関わらず、その境内には御柱が建てられないという事実でしょう。申と寅の年、ここでは黒木鳥居を建てるのです。 さて、毎年4月27日には通称「どぶろく祭」、またの名を独活(うど)祭、矢ヶ崎祭と呼ばれる例大祭が催されます。矢ヶ崎という地名はこの辺りが狩猟の地であった事を示しています。確かに山地と里地の境界という雰囲気はあります。今は宅地となっているのでかなり開発はされていますけれど。出雲大社と同じ形の火切臼と火切杵で発火した火種を用い、柴と河原石で造られた釜で神事の煮焚きをするのですが、臼は檜の板であり、杵は3年以上の堅い卯木と決まっています。そしてどぶろくを醸し、必ず茹でた鹿肉とどぶろくの粕で和えた独活を神前に供えます。これは後で氏子に下げ渡され、境内に所狭しと集まった氏子達は待ってましたとばかりにこれを楽しむのです。 かつては鹿主と呼ばれ、どぶろくを始めとする祭の執行を司る役目を担った家があったといわれています。それがいつの頃からか氏子による当番制となりました。負担が重い事もあったからでしょう。でも当番はとても名誉な事と考えられているのです。昭和22年に雑酒税が義務付けられるまではこのお社で醸し出すどぶろくは免税となっていました。酒税法が試行されて半世紀の間、御座石神社のどぶろくは特別視されてきたという歴史があります。 |
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